◆ その他の (怪しい) 仕事 ◆

    2021年の仕事
  1. 黒田 航 (2021). ヒトの言語の特性の一部は体系的エラーに由来する PDF
    • 本文書は出版が見込まれている『文法の通用基盤モデルの構想』の第2章になる予定の原稿なんですが,当該の書籍がなかなか出版されないので,その前に内容を参照したいという希望に応えるために,公開します.

    2017年の仕事
  2. 黒田 航 (2017c). 無償で利用できる Formal Concept Analysis (FCA) の実行システム Concept Explorer 1.3 の利用の手引き (userguide) の日本語訳 v1 PDF
    • 開発と保守が止まっているようなので,非公式に公開します (本家に連絡を取ろうとしたのですが,応答なし...).
    • 誤りを見つけたら教えて下さい.
    • なお,文系でも理解できる FCA の入門用に室伏俊明さんの FCA サイト を挙げて置きます.
  3. 黒田 航 (2017b). Paul Bloom の TED 講演 The origins of pleasure (2011) に関する覚書 [PDF]
    • 初版を完成させたのは2016年なのですが,結論が気に入らず,しばらく公開を躊躇していました.Paul Ormerod (2012) との係わりを追加して,踏ん切りが付きました.
  4. 黒田 航 (2017a). Lang-8Google translate を併用した英語の苦手な(日本)人のための,簡単でお金も手間もかからない英作文訓練法の紹介 [PDF]


  5. 2016年の仕事

    2015年の仕事

    2014年の仕事

    2013年の仕事

    2012年の仕事

    2011年の仕事

  6. 黒田 航 (2011b). 一般化の述べ方について: いかに過小般化と過大般化を避けて最適な一般化を達成するか [PDF]


  7. 黒田 航 (2011a). 容認度とは何か?また何であるべきか? [PDF]


    2010年の仕事

  8. 黒田 航 (2010a). 英語教育に認められる「人文系バイアス」とその望まれざる帰結: 理工系 (のエリート育成) のための英語教育の必要性 [PDF]

    • 私は英語教育の専門家ではありませんが,他の英語の教師がしないような経験を実地で積んで来ました.そのことから日本の英語教育に対して言えることを,限られた範囲で,しかも暫定的に明らかにしようとしたのが本エッセイです.正直に言って,内容はまだ固まっていませんが,とりあえず現状で公開します.
    • エッセイを読んで頂ければわかることだと思いますが,私は言語学の理論の選択と言語教育の教授法の選択を同一視を促すような人々の主張には批判的です.私の回りには(認知)言語学が外国語教育に役立つという話をする人が少なくありませんが,彼らの主張には説得力がないと私は思ってます.「より良い言語理論の選んで,より良い第二外国語教育を」というのは,私には単なる眉唾か,あるいは悪質なプロパガンダにしか思えません.少なくとも今の英語教育は,効果を測定できるところまで発達していませんので,彼らの言う「効果」は教師の思いこみ,あるいは偽薬効果以上のものでないという保証がないからです.
    • 日本の英語教育の非効率性は歴然としています.それは過去10年ぐらいの間に,韓国や中国の若い人たちの英語パフォーマンスが目に見えて向上していることから見て,明らかです (私はそれを言語処理系の国際学会で観察して来ました).でも,どうすべきなのでしょうか? 日本の英語教育をマトモにしようと思ったら,英語教授法とか言う小手先の改善ではなく,もっと根本的なところ,日本人が英語を習得するためのインセンティブの構造を改善しないと意味がないと私は考えます.その根本的なところが何かを明らかにするのが,本エッセイの目的です.
    • 日本の英語教育の非効率性のかなり強い因子の一つとして,私は英語教育における人文系バイアスの存在を挙げています.その上で,そのバイアスを解消するための具体的な提言も幾つか行なっていますが,その点でどれぐらい成功しているかどうかは,自信がありません.しかし,私が効果的な解決策を示せていないことは本質的な問題ではないと思います.どんな問題解決でも,第一に必要なのは問題の正しい定式化です.少なくともそれには成功していると,私は自負しています.
    • 私の主張を端的に言うと,理工系コミュニティーで使われる英語を教えることできる理工系リテラシーのある英語教官を育成し,彼らに理工系の学生向けの英語を専門に担当させた方がいいということです.いわゆる人文系の学部出身の英語教員には,理工系の英語を教える能力がありません (それ以前に,理工系コミュニティーに特有の英語というものがあることを,彼らは認識していません).この再編成に大学での人文系の英語教員の定員削減が伴うことになっても,それは当然のなり行きだと私は考えます.私は人文系出身の英語教官の無能と自分の社会的責任に関する無自覚は今まで散々見てきましたので,私には彼らを擁護する気にはなれません.彼らは例えば「日本語はナル言語で,英語はスル言語だ」とか,そういう安易な文化論にはいとも簡単に傾倒する一方で,言語の違いを超えた,研究分野ごとの語り方の共通性についてはまったく目が届いていません (とはいえ,彼らは理工系の文章を読まないし,理工系の研究者の講演を聞かないので,どうしようもないのですが).


    2009年の仕事

  9. 黒田 航 (2009d). 鳥肌が立つほどすごい演奏を聴いて思ったこと [PDF]

    • これは言語の研究に直接の関係はありませんが,優秀な研究者がいかに育つかという主題には関係したエッセイです.

  10. 黒田 航 (2009c). 膨大な事例記憶に基づく言語知識と処理のモデルの含意 [PDF]

    • これは今年のJCLA10への応募原稿です.去年の類似の内容の応募が不採択だったのに続いて,今年も不採択でした.その上,去年に続いて今年も査読者のコメントはなしです.去年は黙っていましたが,今年は言わせてもらいます: 査読者の評を応募者にフィードバックすべきではないでしょうか?

  11. 黒田 航 (2009b). 参与者の状態変化量の差分クラスに基づく英語動詞の分類と非能格性の再解釈. [PDF]

      これは去年の前半に執筆された研究ノートです.その後,完成のための時間がなくて放置されていました.まだ粗削りで不完全な状態ですが,完全化は当分望めそうもないので,今の形で公開します (本当は日本語にも適用してから公開しようと思っていました).基本的な計測量から動詞の主要クラスと派生させるというテーマは個人的にはかなり気に入っています.

  12. 黒田 航 (2009a). 名詞の非飽和性はどんな特性として定義されるべきか. [PDF]

      これは非飽和名詞/未飽和名詞の特徴づけに関係するノートです.西山 (1990, 2003) の非飽和名詞と de Bruin and Scha (1988) の関係名詞を同一視するなら,非飽和名詞は関係名詞よりも一般的な概念として定義し直した方が理論的にも記述的にもよい見通しが得られるという提案をしています.このノートの内容は,私の今までの関係名詞/事態喚起性名詞に関する発表発表を補完する内容になっています.


  13. 2008年の仕事

  14. 黒田 航 (2008f). 作例を効果的に行なうためのツールの紹介. [PDF]

      これは09/14/2008の日本認知言語学会で行なう私のポスター発表に関係するノートです.自分で作成した Excel 用のマクロ (exgen) の使い方を紹介しています.これを使うと,人手ではおそらく不可能な組合わせ的で体系的な作例がExcel ワークシート上で可能になります (ただ当然のことですが,生成された表現の容認度評定は自前で行なう必要があります.それが自動化できていたら,私はもっと有名になっています (笑)).

  15. 黒田 航 (2008e). パートニミーとタクソノミーの混同について: メタファーの成立基盤. [PDF]

    • 瀬戸 (2007) で主張されているパートニミー/タクソノミー誤謬 (PT fallacy) を支持しつつ,論駁のための議論を強化した研究ノートです.実際,認知言語学の中では (形式主義への不毛な敵対心から) IS-A 関係で表わされるような概念階層を空間概念に帰着させる主張の支持者が多いようですが,その主張は少なくとも認知科学や人工知能の多くの研究から断絶しています.分野の外で「概念階層のベースは Class Is Container メタファーだ」とか言ったら,「アホじゃないか」と思われるというのが正直なところじゃないかと思います.

  16. 黒田 航 (2008d). なぜ超語彙的パターンが (語彙的パターンより) 重要なのか: 構文「効果」の記述のための基礎理論の提示. [PDF]


  17. 黒田 航 (2008c). 語彙的パターンと超語彙的パターンの階層的ネットワークに基づく構文効果の説明. [PDF]

    • 2008年の認知言語学会の第9回大会に応募して,不採択だった発表の概要です.これは第一に,去年12月のLACEでの発表で概要を提示した,状況を喚起する超語彙的パターンと語彙的パターンを継承ネットワークとして統合した構造としてのパターンのラティス (Pattern Lattice) で構文効果が適切に記述できるようになるという理論的提案の応用であり,2006年のKLS31のワークショップでの発表での主張の実質化です (本当は今年の春の言語処理学会で発表しようと思っていたのですが, チュートリアルの講師を引受けたため,この発表は控えました).
    • この (別に大家を批判しているわけでもない穏健な) 内容で応募が不採択になったことを,私は非常に不思議に思っています.不採択の理由が知りたいですのですが,わかりません (日本認知言語学会に限ったことではないのですが) 日本の言語学系の学会では学会発表の応募者に審査の結果だけを通知し,その決定の基になった査読者の評価を応募者に知らせません.これが研究の進歩を遅らせているのは明白です (理工系の学会の審査では学会発表の応募原稿であっても査読者が論文にコメントしないのは異常です).他の分野の進展について行くためにも,こういう怠惰に基づく悪習はなるべく早く修正されて欲しいものです.

  18. 黒田 航 (2008b). <意図的行為>と<使役>と<状態の変化>との関係を考慮した<移動>のオントロジーの明示化案: 状況基盤の意味記述の基礎づけのための. [PDF]

  19. 黒田 航 (2008a). 言語学とは何か? また何であるべきか? [PDF].


  20. 2007年の仕事

  21. 黒田 航 (2007h). メタファー表現はどうやって (話の集合に) 発生するのか?: 産出を強制選択と見なした場合の,メタファー表現産出のもっとも弱い説明仮説. [PDF]

    • 「鍋島氏からの反論に対する幾つかの異論」[PDF] と「メタファー理解の状況基盤モデルの基本的な主張: 概念メタファー理論との比較を通じた解題」[PDF]の補足です.
    • VNV研究会での発表 [PDF] の一部の内容の詳細化という面もあります.

  22. 黒田 航 (2007g): 徹底した用法基盤主義の下での文法の個体獲得:「極端に豊かな事例記憶」の仮説で描く新しい筋書きとその含意 [PDF]

    • これは大修館に依頼されて月刊『言語』の「文法の獲得」特集号のために執筆した論文 [PDF] の原典版です.

  23. 黒田 航 (2007f): X者とX体,並びに被X者と被X体の使い分けについて [PDF]

    • MSFA/MSFA Lite を使った意味タグづけに「X者」「X体」「被X者」「被X体」などがフレーム要素名=意味役割名として使われるのですが,これらの使い分けは簡単ではなく,タグづけ作業者が混乱することは稀でありません.これらの区別の難点を説明したものがこの文書です.
    • なお,「X体」と「X者」の区別は,言語学的には非対格性と非能格性の区別に深い関係があります.

  24. 黒田 航 (2007e): 学習可能な統語構造を PMA を使って表示する: 「言語の知識」の領域固有性をめぐる公開ディベートをきっかけにして. [PDF]

    • 統語構造の表示にPMAを使った場合,「言語の知識」=文法の習得不可能性の主張が不可避でなくなることを指摘した研究ノートです.これは2005年の終わりに書き始められて2006年の初めには完成していたのですが,諸々の事情から公開を見送っていました.今回,一部の方の不満の種になっていた部分を全面的に削除し,公開に踏み切りました.
    • このエッセイの背景にある考えは,黒田 (2007) [PDF] に発展しました.

  25. 黒田航 (2007d). 「キレイかった」を認可するためのスキーマ[Xかった]を再考する [PDF]

    • このノートは山梨(2000)で提案されている[Xかった]の記述的妥当性を検討し,認知言語学で安易に設定されがちなスキーマの認定の手順を定式化する必要があることを論じています.

  26. 黒田 航 (2007c) メタファー理解の状況基盤モデルの基本的な主張: 概念メタファー理論との比較を通じた解題 [PDF]

    • このノートはFOCAL研究グループが提唱するメタファー分析のモデルの基本的な主張を概念メタファー理論の主張との対比でまとめたものです.これは注にもある通り,東大の山泉実くんからの依頼で書いたものです.
    • 鍋島 (2007) への異論 [PDF] の簡略版という面もあります.

  27. 黒田 航・中本 敬子 (2007). 文彩を生じさせる (語の) 意味の相互作用の実態は何か? [PDF].

  28. 黒田 航 (2007b). 鍋島氏からの反論に対する幾つかの異論 (短縮版) [PDF].

    • 『日本語学』の 2007年03月号に載った鍋島弘治郎先生の「黒田の疑問に答える: 認知言語学からの回答」に対する私の見解です.この論文には,今までの論文にはなかった状況の正確な定義を載せていますので,FOCALの最新情報を伝えている部分もあります.
    • 後に [PDF] で論点を整理しました.概念メタファー理論に詳しくない方はこちらの方を先に読むことをお勧めします.
    • 荒川洋平さんという方 (認知言語学を取入れた日本語教育をやっている方で日本語という外国語の著者) が本論争にコメント [1.39]しています.このコメントの存在はずっと前から知っていたのですが,自分の再就職活動に悪影響があると困るので,黙っていました.しかし,どうやら,私はいわゆる人文系の言語学関係の教官としてはどこにも採用されそうにないのが明らかになってきたので,黙っていても意味がないと悟りました.そのため,大きく時間が空きましたが,簡単にコメントさせてもらいます.端的に言えば「ああ,あなたは鍋島さんのお友達なんですね」ということなんですが,それだけでは何のことかわからない方も多いと思いますので,その含みを明示します.コメントを読む限り「あなたは (鍋島氏や他の名の知れた「認知言語学者」の皆さんと同じで) 認知言語学と経験科学にする気はサラサラないのですね? あるいは人文学の自己満足と自家中毒の世界で満足なのですね?」ということです (それに異を唱える積もりでしたら,少なくとも私の純粋内観批判ぐらいは読んでからそうして下さいね).経験科学としての土台がめちゃくちゃな認知言語学を「応用」したいなら,ご自由に.しかし,それは私がやりたいことではないですし,私はそれを「科学の応用」と呼ぶことは断固として容認できません.ありていに言えば,あなた(方)がのやっていることは,私には単なるカルトにしか見えません.そうでないと言うなら,あなた(方)のやっていることが分野外の人間からも (ご機嫌取り以外の形で) 評価されていること,実際に計測可能な応用的価値があることを示して下さい (心理学で比喩の研究をしている人から概念メタファーの研究が好意的に引用されることは,しばしば単なるご機嫌取りだということをお忘れなく).(そういうものがないのに,前提の正しさを信じること自体がカルトなのです).最期に,私が反論を専門誌に投稿しないのは,第一に,この「論争」に学術的価値があるとは思っていないから,第二に,私の反論が長すぎるからです.正確に言えば,こんなのが「論争」として扱われるような研究分野は,経験科学としては三流以下です.こんなのは「論争」ではなく,Web上の口論と同列ですから.

  29. K. Kuroda, K. Nakamoto, Y. Shibuya, and H. Isahara (2007). Towards a more textual, as opposed to conceptual, approach in metaphor research: A case study of How to Cook a Husband. A paper submitted to the Annual Meeting of the Cognitive Science Society 2007 (accepted as poster presentation). [PDF]
    CogSci 2007 の審査員からの査読結果は こちら です.
    改訂後の公式論文 [PDF].

  30. 黒田 航 (2007a). 特質構造の濫用と思われる説明について: 影山 (2002) の批判的検討 [PDF].
    第13回言語処理学会 で加藤鉱三(信州大学)氏との共同研究「“Nを始める”の考察: 英語の “begin a N”との比較を中心に」(特別セッション「語の意味」と言語学・言語処理S3-3) で言及されている論文です.
    論旨は要するに,玉村文郎(編), 『日本語学と言語学』, 101-111. 明治書院に収録されている 影山 (2002) 「語彙の意味と構文の意味: 「冷やし中華を始めました」という表現を中心に」で説明に使われている特質構造 (qualia structure) の考え方は生成辞書理論の観点から評価すると変でないの?という問題提起と,状況基盤の意味フレーム理論から見た事実の解釈の提示です (解釈の提示ですから,特に何も説明はしていません).


  31. 2006年の仕事

  32. 黒田 航 (2006). PMA を用いた off が不変化詞か前置詞として現われる構文の挙動の体系的分析: 不変化詞と前置詞との関係を明示するための試論 [PDF].
    これは11/04/2006に東大駒場キャンパスで催される英語学会ワークショップ「前置詞の意味,助詞の意味」(代表: 加藤鉱三)での私の発表のための資料です.本番でどれぐらい内容に言及できるかはわかりません.

  33. 黒田 航 (2006). (概念)領域の空虚でない定義を求めて [PDF].
    内容は題名から想像がつくでしょうが(笑),具体的には次の二点です:
    (i)「(概念)領域」という認知言語学にとって根本的に重要な説明概念の基盤をしっかりする必要性の指摘
    (ii) それを実現するためにFOCALが提供する「状況基盤に定義される(意味)役割」という説明概念が使えるという提案.
    最初の点に関しては,認知言語学では濫用されている感のある「(概念)領域」を,普通の科学的説明に導入する価値のある説明概念にするためには,少なくとも (i) 例示は定義の代用にはならないこと,(ii) 理論的定義と操作的定義を区別する必要があることを訴えてます.つまり「定義があれば何でもいい」ってわけではないってことです (こんなことまで言わないといけない,しかも言ってからと言ってちゃんとわかってもらえるわけではないという今の日本の認知言語学の現状には些かうんざりもしていますが (苦))
    この議論の発展形が上の 鍋島氏からの反論への幾つかの異論 です.

  34. 黒田 航 (2006). 意味役割の(特徴)値は形容(動)詞による語彙化/名づけの対象になる [PDF].
    これは「天才」のような語の意味フレーム記述をどうするかを示したノートです.MSFAを使った意味タグづけを実践すると多くの作業者/研究者が<天才>フレームを作りがちですが,これは事実上「誤り」に近いという提案を行なっています. これと同時にLakoffの言う領域/ICM,Langacker の言う領域/領域マトリックスとFOCALで言うフレームがどう係わって(どう違って)いるかという話も出てきます.具体的にはFOCALでは“<医者>フレーム”というものは認めないが,Lakoff/Langacker流の分析なら“<医者>領域”とか“<医者>のICM”とか存在することを禁止する理由は何もないないワケです.ですが,問題を裏返すと“領域”概念の本質的難点は「何が領域でないか」を決めることができないほど,その認定基準が奔放だということです.私は,そのような説明の自由度の過剰が認知言語学の意味記述の精度を下げている原因の一つなのだという問題提起を行ない,それをFOCALの想定するような厳しい認定の「縛り」をかけることで軽減しようとしているわけです.
    別の言い方をすれば,これは説明できない事実があることを積極的に認めることです.ある理論Tの与える説明Eに仮に説明できない事実ことFがあっても,FTでうまく説明できないことが,Tとは独立の基準で正当化可能ならば,E有意味でTは有意義です.従来の認知言語学は,この意味での有意味な説明を与えるための有意義な理論を開発してきたとは私にはまったく思われません.

  35. 黒田 航 (2006). 文中で名詞句が担う意味役割は「曖昧」なのではなく「複合的」である: 複層意味フレーム分析 (MSFA) からの知見 [PDF].
    05/13,14に東大駒場で開催される Morphology and Lexicon Forum の特別セッション『意味役割の新展開』 (14日 10:00--12:10) で発表します.発表用のスライドとは別に要旨の増補版を公開しておきます.
    発表に使う スライド (PDF) を公開します.当日までに改訂される可能性はありますので,その点はご了承下さい.

  36. 黒田 航 (2006). 並列パターン一致法の簡略版 PMAS を用いた (共) 項構造の指定 [PDF].
    奈良先端技術大学で小さな話をしたときのスライドです.

  37. PMAの(なるべく)簡単な解説: PMAによる日本語と英語の結果述語の分析のために
    去年の英語学会でのワークショップ『結果述語の意味論』での発表をまとめて,ひつじ書房から論文集が出ることが決まっています(タイトルは未定).これは現在私が準備中の寄稿の一部となる(ハズの),日本語の Pattern Matching Analysis (PMA) のための(初めての本格的?)解説書です(笑).題材として結果構文が取り上げられていますが,本論からは独立した文書になるように心がけました.部分的に未完で,おそらく比較的頻繁に改訂もされるとは思いますが,私の周囲では「わかりやすいPMAの解説書を求む!!!!」の声(裏返せば「黒田節はワカラン!!!!」の非難の声(笑))が日に日に高くなって来ておりますので,未完のまま公開します.

  38. K. Kuroda, K. Nakamoto, and H. Isahara (2006). Role-denoting nouns and their properties [PDF].
    これは CogSci 2006 に提出したけれど採択されなかった 応募論文 [PDF] の改訂版です.意味役割名と対象名の区別と Gentner and Kurtz (2005) の提唱する関係名詞 (relational nouns) と実体/対象名詞 (entity/object nouns) との関係づけを行なおうと試みました. 「負け犬の遠吠え」に聞こえるのを覚悟で言いますが,準備不足 (構想から三日ぐらいで書き上げたの) で論文の論旨が明快でないのと,それに応じて英語のデキが悪かったのと,私たちの仕事が Gentner らの仕事の「二番煎じだ」と思われたのが理由で採用されなかったようです (実際は二番煎じでも何でもないですよ.何しろ,Gentner らの仕事は去年の暮れに知ったばかりなんですから(笑)).後で査読者の評を紹介します.DGfS での発表 の準備を先に行なっていたら,もっと説得力のある「新しい」データも提供できたかも知れませんが,これは後の祭りですね(苦) 特に若い人には「この程度の英語ではこういう風にコキおろされる」ことを知る良い見本として参考にして下さい(苦)
    こういうことは今までに何回か経験しましたが,その度に,科学は開かれていると言われながらも実際には (i) いわゆる「言語/英語の壁」 (language/English barrier) は分厚く,(ii) (英語のできない) アジア人は「亜流」の研究しかできないと見下されているのということが実感としてよくわかります.これは本当に非欧米国の研究者にとってハンディキャップですよ.実際,英語を母国語とするか,母国語並みに操れるほど上手でもない研究者が一流と見なされるのは主に自然科学系(いちおう数学も含める)であるのは,(「バカの壁」のせいではなくて(笑))この「英語の壁」のせいです.全般的に,人文・社会科学の研究では,(たかだか) 研究の「内容」の記述媒体に過ぎない「(言語)表現」の適切さ,正確さのことが過大評価される傾向があるように思います(とはいえ,「(言語)表現」の適切さ,正確さが無用だと言っているのではありませんよ,念のため.喩えて言えば,訛りのある数学者と訛りのない数学者の能力の差を,彼らの訛りの程度で判断するか?って話です).これは人文・社会系で問題となるのは多くの場合に「何かの意味」だから仕方ない部分もありますが)これが人文・社会科学の欧米中心主義に一層の拍車をかけるわけです.これに抵抗するには,露骨な見下しにめげることなく,バカ扱いされるのを気にせず (Richard Feynman style で) ゲリラ的に抵抗するしかないのでしょうね(苦)
    一般的に言って英語がデキることがすぐれた研究をすることの十分条件ではないは(言語学の「研究成果」を見れば) 一目瞭然だと思いますが,英語がデキることはすぐれた研究必要条件ではないはずですよ,少なくとも研究能力という点においては.もちろん,研究成果の「発表」という点に関しては,まったく事情は異なりますけど(苦)
    グチはこれくらいにしておいて,さて,査読者の評です.

    1. Review 1: Type of Submission: Cognitive Science, Linguistics, Psychology
      In this article, the authors argue that nouns that denote relational categories are better explained by understanding how nouns relate to conceptual information about the roles that those nouns play in specific situations. By doing so, the authors claim to provide a better account than other recent perspectives of relational categories (e.g., Gentner, 2005; Gentner & Kurtz, 2005). Specifically, they suggest their framework is able to distinguish between relational nouns and object nouns. The article touches on an important issue that is gaining more attention in the psycholinguistic literature. In particular, research into the relationship between situation-specific knowledge and thematic role knowledge that becomes available from nouns and verbs has shown that this information is available and used very early in the comprehension process. Unfortunately, I felt that this article was not written very well and I have some concerns about the lack of a theoretical perspective on how situation-specific information becomes associated with nouns in the first place. In this regard, the authors should be more aware of other theoretical treatments of how situation-specific information becomes associated with nouns, such as that provided by McRae and colleagues (e.g., McRae, Hare, Elman, & Ferretti, 2005; Memory and Cognition). The contribution of the present research would be enhanced considerably if they could justify, from a psychological perspective, how detailed knowledge of situations become associated with nouns. I thought the discussion on Metaphoric reference on page 3 was hard to follow and kind of out of place in the context of the preceding discussions. If it is an issue that the authors believe is important to discuss, then I think it should be mentioned at the end of the article after all evidence has been presented for how their approach distinguishes between the relation nouns and object nouns. I think the issues discussed in the article are important and perhaps a revision that includes more detail on how situation specific knowledge is associated with nouns and used during language comprehension would make a nice contribution to the conference proceedings. The authors also need to work on the writing of the manuscript in terms of making sure words are not missing from sentences and that proper prepositions are used. The authors names and institution need to appear under the title and there really should be an abstract.

    2. Review 2: Type of Submission: Linguistics
      The Review Role-denoting nouns and their properties Provides no author information I found this paper an attempt to review existing data regarding grammatical categories for nouns. There was no new data, and the paper is very poorly written. I recommend rejection. For example, on the second page, in the section defining situations, the first sentence reads --- Many things are happening around us, always. But we aren't so messed up with them, as far as we know what are happening around us. --- This makes no sense to me. And the entire paper is written along those lines. Perhaps these authors need to seek English writing assistance to improve the potential interest of this paper. However, even if the writing were significantly improved, this paper submits no data and does not report an empirical study and I find it unacceptable for the conference.

    3. Review 3: Type of Submission: Linguistics, Psychology
      This paper compares two distinct interpretations of a class of nouns - "situation-specific roles" and "relations nouns". Based on a linguistic analysis of their uses, the authors suggest a functional-based analysis of relational nouns, as proposed by Gentner and others, is problematic and that it is better to treat such nouns as being co-arguments within a situation. This paper has an interesting premise, and seems to provide a fairly thorough linguistic analysis of the problem. However, this analysis is difficult to follow and some is missing one of the references upon which it relies. For one thing, I am not clear on how to interpret examples (1) and (2). The authors puzzle about justifying that a 'hurricane' is a 'disaster' - However if their premise is that the 'a' and 'b' sentences describe the same situation I do not understand why a justification is needed (conversly, the same argument can be made for the assumption that 'a group of masked men' are 'robbers', e.g. a masquerade). Moreover, they claim that a hurricane is an instance of a natural disaster - However, in my opinion a hurricane is a disaster mostly if it hits a populated area. For example, a hurricane that dies out in the ocean is more often than not harmless. Therefore, I am not surprised that WordNet does not encode it as a disaster (which under that definition requires destruction - a possible but not necessary consequence of a hurricane). Regardless, the main problem I had with following the paper is that one of its main references - Nakamoto et al. (2005) is in Japanese and was therefore not accessible to me. Because of this, it would be extremely helpful if the authors could include a good summary of that paper instead of just referring to it. For instance, the inaccessibility of this paper makes it difficult to evaluate the authors' claim that "most situations have names for roles specific to them". In addition, I am not clear on how the authors' suggestion for new terminology differs from Genter (2005)'s terminology - Specifically, Gentner (2005, p. 246) states that 'schema categories, such as robbery, are defined by internal relational structure'. To me, this seems to be similar to what the authors refer to as a frame. Furthermore, it seems to me that the authors might have misinterpreted what Asmuth & Gentner refer to when they claim that relational nouns are semantically unsaturated. Claiming that "robber", "victim", and "valuables" are co-arguments does not saturate them - specific instantiations are still missing. These are roles (i.e. slots) to fill in the schema of robbery and can be filled by content. For example, in the case of (1b), the "victim" is "people". In semantic theory this type of saturation is often exactly what is meant by an argument. There are also a couple of minor point: 1) I believe that when using the word "slaughter" as a role, the authors are actually intending to mean "slaughterer". 2) The PDF for this paper is missing the authors and the abstract (the submitted abstract seems to be the section titled 'Introduction'). Because of the difficulty I had in following the argument, and because I believe that their proposed changes to the conceptualization of relational nouns (and categories) are already incorporated into the existing theory, I regretfully have to recommend that this paper be rejected. Nevertheless, if there are indeed issues with the current notion of relational categories, I would suggest that the authors should consider resubmitting this paper after clarifying what these issues are - perhaps by including a relational-categories analysis of a sentence that exemplifies this issue and demonstrates how their solution differs.

    4. Review 4 by a primary (PC member): Type of Submission: Linguistics
      The Review All three referees of this submission agree that it contains some interesting ideas, but all three are in agreement that the paper fails to be sufficiently well-structured and well-written to recommend it for publication. It further fails to contain any new data. I refer the authors to the very detailed referee reports for more substantive arguments, and recommend that the paper be rejected.

    査読者2の査読は論外です.正直に言って「何言ってるんだ,コイツって??」感じです.モノワカリのワルイ奴ってのは世界のどこにでもいるってことでしょう(苦) こんな評をもらっても,「運が悪かった」ことがわかる以外に何にも益がないです.査読者の専門分野が「言語学」ってところが泣かせます.ようするに,コイツは何にも問題設定がわかってないんですね.これは今までの言語学がいかに本質的でない問題に終始してきたかを示す新たな証拠ですね.
    査読者1, 2は,確かに,この論文に(あまり読みやすくない英語で)書かれている範囲では不明確で,説明を要すると思われる「弱点」を突いてきています.ただ(すでに「支配」層に属している彼らには通用しないでしょうが(苦)),McRae らの研究の言っていることも,Gentner らの研究が言っていることも,私たちが言っていることと「五十歩百歩でしょ?」というのが,私の控え目な評価です.McRae らの事象知識にしたって,Gentner らの関係カテゴリーにしたって,それが正確にどういう構造をなしているかは,ぜんぜんわかっていないはずです.それがすでにわかっていると強弁する人は,自分の無知を認める勇気のない人だけです.私たちは(あまり控え目な表現によってではなかったですが)「それを実証的に明らかにするのに状況と単位とする記述方式は使えるよ」と提案をしているわけなんですが,これは正当に評価されないようです.評価者たちには彼ら固有の「心理実験バイアス」のようなものがあって,心理実験で検証を経てないものは評価に値しないと思われているフシがあります.これは私たちが日々目撃する心理学と言語学との断絶,心理学と情報処理との断絶です.私たちは綿密なコーパス分析という心理実験とは別の実証的調査の結果として提案を行なっているのですが,こういう部分はコーパス分析の内情を知らない相手(つまり普通の「実験」心理学者)にはなっかなか伝わらない.日本語に関しては,お望みとあればいっくらでも説得力のある「新しい」データを出せますが (no new data とか繰り返し文句を言われていますし),英語で同じようなコーパス分析をするのは,主に時間の都合から今のところ私たちの能力を越えています(苦)
    という感じで,言語学者が過去20年間に行なった「悪業」のツケを,私たちが今彼らの代わりに支払わされているという感じですね(苦) でも私は諦めませんよ.私たちのやっていることは正しいだけでなく,すでに存在する欧米の研究よりすぐれてると確信していますから.例えば関係カテゴリー,状況概念の「認定」のための試験項目を作る作業を,実験心理学者が言語学者である私たち以上にうまくできないのは,すでにわかっていることです(例外は当然あるでしょうが,平均を考えた場合,これは確実に成立します.専門性の当然の効果ですから(笑)).実験心理学者が得意なのは,ある記述モデルの妥当性を確かめることです.文脈への適合も考慮に入れた,非常に精緻な予測をする文意の記述モデルを構築することは,彼らはまちがいなく得意ではない.具体的に言えば,語句の用法空間を踏破して,その広がりの全体空間を近似するような意味特徴の洗い出し作業に実験心理学者が上手をもっているとは考えにくいです.これは言語学者に任せるべき仕事です.実際,多くの(認知)心理言語学者の意味観は,(認知)言語学学者から見れば,素朴すぎます.今回の投稿ではまったく正しく伝わっていませんが,私たちが提案する意味フレーム基盤の意味分析の本当の狙いは,従来の「語句には脱文脈的に意味が存在し,それらが組み合わせて文の意味が決まる」という素朴な意味観への挑戦なのです.これがなかなか理解されないのは当然のことなので,仕方ないとは思いますが.
    これは以前から言っていることですが,言語学者と実験心理学者はお互いに長所と短所と補う形で共同しなきゃダメなんですよ.そのためには,言語学者は当然,実験に乗るような形で語句の意味記述をしないといけませんけどね.私の提唱しているフレームの階層的ネットワーク分析 (Hierarchical Frame Network Analysis: HFNA) は部分的には,そういう目的のために存在します.HFNA を表現する際に意味特徴/素性 features の使用にこだわるのは,それらが評定実験によって効果的か否かを評価でいるからです.用例を単にネットワークの形に「分類」するだけでは,そういう実験には乗せられません.それはつまり,提案された記述モデルの心理学的妥当性を評価できない,ということです.

  39. Introducing Pattern Matching Analysis (PMA) as a Friend, if not a Variant, of Construction Grammar
    これは 4th International Conference on Construction Grammar への応募論文です.増補改訂版は Introducing (Parallel) Pattern Matching Analysis (PMA) as a Friend, if not a Variant, of Construction Grammar: PMA of Resultatives です.
    この論文は私が参加した英語学会でのワークショップ『結果述語の意味論』のメンバーとの議論 ---特に信州大学の加藤鉱三先生との議論--- の成果として誕生したものです.関係者の方々にこの場を借りてお礼を申し上げます.


  40. 2005年の仕事

  41. 結果構文における結果の<評価者>の役割の重要性 (PDF)
    これは11/12の第23回英語学会でのワークショップ『結果述語の意味論』 (代表: 小野尚之) の準備のために書かれました.はじめはこの内容で発表しようと思っていたのですが,他の発表との接点を探るうちに発表内容は最終的に 結果述語と結果構文の定義を再考する になりました.繋がりは弱くなってしまいましたが,根本問題を先に解決しようという意図から,こうなりました.続編は『帰ってきた結果述語の意味論』でやる予定です.

  42. 結果構文の共述語分析 (PDF)
    これは11/12の第23回英語学会でのワークショップ『結果述語の意味論』 (代表: 小野尚之) の準備の最中に他のメンバーと議論に触発されて書かれました.最終的な発表 結果述語と結果構文の定義を再考する はこれを元にしています.
    共述語分析の基盤になっている Pattern Matching Analysis (PMA) の入門には PMA 入門1, PMA 入門2 をお薦めします.原典は私の博士論文ですが,英語の分析が中心なのと,現行の枠組みよりほんの少し古いのと,それ以上に長大である難点がありますので,お薦めはしません.
    この発表は論文としてまとめて,小野尚之(編)『結果構文研究の新展開』(ひつじ書房)に「Pattern Matching Analysis (PMA) を使った日本語の結果構文の共述語分析」として収録されます. その最終稿 [PDF].

  43. <状態変化>と<発生>・<出現>は何が,どう違うか: LCS をオントロジーの観点から見直す
    これは共述語分析と同じく結果述語のワークショップのメンバーとの議論から生まれたものですが,最終的に 結果構文における結果の<評価者>の役割の重要性 (PDF) の一部として統合されました.

  44. 「構文は意味と形式の対である」と言う時,その "形式" とは何のことか? (PDF):
    JCLA 05 での口頭発表「名詞との共起に基づく構文の定義」 (李・黒田・大谷・井佐原 2005) の論点を補足するための論文です.内容はいつものように過激なので,心臓の弱い方にはお薦めしません(笑)

  45. 純粋内観批判 (PDF):
    これは去年 CogLing で Annual Reviews of Cognitive Linguistics に載った Stefan Th. Gries の論文 が火つけ役になった認知言語学の方法論的基盤に関する論争の内容を個人に評価したエッセイです.今年の JCLA でのワークショップ「コーパス利用とこれからの認知言語学: 用法基盤主義をカケ声で終らせないためには,何を,どうするべきか」での私たちの発表と関係が深いです.

  46. 複層意味フレーム分析を用いた意味役割タグづけのための手引き (PDF):
    これは言語処理学会第11回大会での口頭発表 複層意味フレーム分析に基づく意味役割タグつきコーパス評価版の公開 (PDF) の背景となったタグづけ作業の経験をマニュアル化する必要から文書です.論文ではなく手引書です.とは言え,これはおそらく(書かれた言語を問わず)フレームの喚起という現象がどんな現象なのか理論的に突っこんで考察してる唯一の文献でしょうから,「語句によるフレームの(あるいは状況の)喚起とは何か?」「それは記号的関係と何がどうちがうのか?」という根本的問題に関心をもっている人には (MSFA の枠組みに関与する,しないに係わらず) 有用だと思います.ただし,この文書はまだ未完なので,大幅に改訂される可能性があります.その点はどうかご了承下さい.

  47. 黒田 航 (2006). Pattern Matching Analysis に基づく,処理の分散性,並列性を考慮した文の意味解釈プロセスのモデル化 [PDF].
    これは 6/25 (土),26 (日) に上智大学で開催される 第七回言語科学学会 (Japanese Society of Language Sciences) での口頭発表「意味フレームに基づく選択制限の表現: 動詞「襲う」を例にした心理実験による検討」 (中本・黒田 2005) の補足として準備されました.これは選択制限(違反)の効果が意味フレーム由来であることを論じた 選択制限は意味フレームに由来する (PDF) の延長上にあり,この論文と統合する予定です.

  48. 複層意味フレーム分析は,何を,どう記述するものか (PDF)
    これは複層意味フレーム分析 (MSFA) の「読み取り方」の解説です.これは現時点でもっとも簡単なMSFAへの入門です.背景知識によらずに,なるべく多くの人にわかって頂けるように平易に書いたつもりです.

  49. 形容詞の意味と (意味フレームの形で特定される) 状況の関係に関する試論 (PDF)
    これは以前から FOCAL 研究グループでは内部的に問題になっていた形容詞の意味の意味フレーム基盤の取り扱いに関して,私の考えを述べたものです.内容は決定的というわけではありませんが,この辺になると私がFOCALという名目でやっていることと Berkeley FrameNet日本語フレームネット との互換性は怪しくなってきます(笑).私はフレームは(ただでさえ数が多いので)可能な限りは数が少ない方がいいと考えます.文の意味理解に関係するものすべてをフレームとして記述することに意味があるとは,私は考えません.私たちは今のところは,何かを「説明」しようとしているわけではないのですから,フレームの名で記述すべきものとそうでないものとを区別する必要があるというのが私の強調したい点です.
    BFN は最近,MSFAと同じような形で文章へのアノテーションを開始したりして,日に日に進化していますが,私が見る限り,BFN には二つ問題があります.一つ目はフレームが何であるか今だに正確な定義を与えようとしていないこと.もう一つは,喚起がどんな現象であるか,あんまり理論的につきつめていないことです.フレームは語の取り合わせによって喚起されるものですが,そうやって喚起されるものすべてがフレームだとは限らないはずです.ところが,現行の BFN のフレームの認定基準はどうもそうなっているのではないかと思います.これが正しい姿勢か否かは今後の展開次第でしょう.
    私としてはすでにNLPで機械学習によって得られている表層格フレーム辞書を言語学者が解釈し,それを構成する意味役割を同定し,体系化するのがもっとも効率的な意味フレーム辞書の構築法だと考えています.「襲う」「守る」「逃げる」について人手で行なったHFNの構築は,意味フレーム辞書の有用性を保証するために,まず(状況のモデル化としての)意味フレームという理論的構成物が認知心理学的な妥当性をもつかどうか検証するための手段であって,それが多かれ少なかれ明らかになった今となっては,用法の人手解析を語ごとに行なうやり方はまったく効率的な意味フレーム辞書を構築方法でないと主張するのは当然の帰結です.ですから,私は BFN が英語で日本語の表層格フレーム辞書に相当する下位範疇化フレームの辞書を言語学者が解釈し,体系化するという開発方法を取っていないのを少なからず不思議に思っています.

  50. 意味フレームの階層ネットワークをいかに構築するか: [x が (z から) y を守る] の HFN の構築の実例を通じて (PDF)
    未完ですが,意味フレームの階層ネットワークの具体的構築方法を説明した解説論文です.説明にあるように,頭を使うだけでなく,実際に「手を使う」方法をお勧めします.多忙により,この論文を当分のあいだは完成できそうにないので,未完成のまま公開しておきます.

  51. 概念メタファーの体系性は (文法の体系性と同じく) 錯覚ではないのか?
    概念メタファー理論の批判です.私は 意味フレームの理論は意味役割の理論である (「意味フレームに基づく概念分析の理論と実践」として『認知言語学論考第4巻』に収録予定)の一部で私は Lakoff & Johnson (1999: 161-166) の「時間は資源である」メタファーが実際にはメタファーではないという批判的議論を展開しました.ただ,あの論文の議論は紙面の制限を含めて,幾つかの理由から十分ではありませんでした.この論文は,その議論に実証的な証拠を追加するものです.概念メタファー理論に方法論的,哲学的基盤を相当痛烈に批判していますので,気の弱い方はお気をつけてお読み下さい.
    一つ,誤解のないように言っておきたいのですが,私は概念メタファー理論にまったく価値がないと言っているわけではないのです.そうではなくて,それは (i) 記述的一般化を説明に見せかけている, (ii) 記述的一般化にしても,それは観察的妥当性を満足しない過剰般化しか提供していない,という二つの点が問題なのです. 結論として言えるのは,概念メタファー理論がもし真面目な認知の理論であるならば,それはあまりに強すぎる,杜撰な理論だということです.これらは生成文法の問題点と同質,同根です.この意味で,概念メタファー理論は,身体性基盤のようなカケ声とは裏腹に,少なくとも方法論的には Chomsky 流生成言語学の亜流でしかありません.Langacker の提唱する用法基盤主義の枠組みで用法の分析がマトモに行われていないのと同じく,Lakoff-Johnson 流の意味論では身体性はせいぜい「建前」で真剣に分析されておらず,理論に内実が伴っていないのです.これは認知意味論が生成言語学への対案として提唱されたことを考えると,あまりに皮肉なことではないでしょうか???

  52. HNFA はどのように MSFA と関係づけられるか (PDF)
    これまで不問であった(例えば「xがyを襲う」の)意味フレームの階層ネットワーク分析 (HFNA) と(例えば「覆面の男が銀行を襲った」の)複層意味フレーム分析 (MSFA) との関係に関する簡単な説明です.

  53. 「言語の生得性」に関する(得てして不毛な議論に関する)覚書 (PDF)
    黒田 (1998) 「認知言語学の言語習得へのアプローチ」の補遺です.D. Bickerton のバイオプログラム仮説 (Bioprogram Hypothesis) を検討しています.

  54. 日本語の Pattern Matching Analysis の簡単な実例 (PDF)
    この度,故あって,日本語の Pattern Matching Analysis (PMA) の実例を解説する運びとなりました.この短い論文に簡単なPMAの日本語への適用例があります.機会があれば,これからもっと分析を増やす予定です.

  55. 27th Annual Meeting of the Cognitive Science Society (07/21-23/2005) にIWGAL05と同様,井佐原と連名で応募しました.その際の応募論文の 増補改訂版 (PDF) です.一部,IWGAL05への応募論文と内容の重複はありますが,強調点は異なります.IWGAL05応募論文の内容は,生成辞書理論の内輪の話に近くて,「MSFAが特質構造を豊かにする手法として使えますよ」という宣伝が主な狙いだったのですが,今回の主眼となっているのは一般的な理論的問題です.簡単に言うと(論文では紙面の都合上,そこまでは明示的には書けていませんが),w の多義性の解消の実体は,w について可能な意味の集合から「互換性のない解釈(のみ)を切り捨てる」ことであって,w の意味を「一つに絞りこむ」ことではないという主張を行なっています.
    問題を別の観点で捉えると,例えば認知文法的な言い方をするなら,(i) ベース/プロファイル関係が保存されるような形でプロファイルが変動するタイプ(つまりプロファイル・シフト型)の多義性解消(これはメトニミー)と (ii) ベース/プロファイル関係が保存されないでベースが変動するタイプ(ベース・シフト型)の多義性解消(これはメタファーに似る)とは,根本的に別の現象だということです.

  56. 意味フレームの階層的組織化の理論によるフレーム間関係の体系化の試み
    これは複層意味フレーム分析による意味役割タグづけ作業の一部であるフレーム間関係の特定のために,その基礎理論を提供するための文書です.比較的短いですが,フレームがどのように組織化されているのかに関して,有益な知見を提供すると思われます.近日中に公開予定の「複層意味フレーム分析に基づく意味役割タグづけの心得」と統合しする予定ですが,本編の執筆が遅れていますので,単独で公開します.


  57. International Workshop on Generative Approaches to the Lexicon 2005 (IWGAL05) に井佐原と連名で応募しました.その際の応募論文の 増補改訂版 (PDF) です.英語で複層意味フレーム分析の概要を説明したのは初めてだと思いますし,増補改訂版だとは言え---著者の英語力を反映して(笑)---内容も比較的簡潔・明瞭なので,案外有用なのではないかと思います.一部で日本語でも明らかにしたことのない知見も明示されています.

    UPDATE 03/09/2005: 採択されました.二人の査読者からの評です:

    1. This paper is an attempt to solve some of the problems posed by the messiness of the lexicon. It rightly considers that meaning should be studied at the sentential level, and not only at the lexical level. To do that it offers a series of conceptual frames, listed vertically, which are then linked horizontally by three relations: "presupposes", "constitutes" and "elaborates". The words of the sentence under scrutiny are listed vertically in the second column, and a horizontal reading of a given word is supposed to produce its lexical contents. This two-dimensional table is considered a "multilayered semantic frame analysis" (MSFA). Clarity is not its main feature: the contents of the columns is not homogeneous, many cells remain empty, they vary greatly in size and some are in shades of grey for some reason. On the whole the choice of frames seems quite ad hoc and the corpus of evidence is rather sketchy. Three sentences have been analysed, one in Japanese and its translation into English and another one in English, which in my view is not enough to validate the technique. The method aims to help solve the problem of polysemy. In that case, at least a few other sentences containing the same words but with other senses (a book of stamps, accounting books, a book as a chapter of a larger book, phrases such as "cook the books", "throw the book at someone", etc.) should have been analysed as well. The paper claims that MSFA "reveals the link from language to world knowledge", but unfortunately, it is not clear how this can be achieved by the method, unless one considers the frames as encyclopedic, a tall order. Also, the paper claims to be based on two premises: 1) that human understanding is situation-based, and 2) that a situation is an organis ation of semantic roles. Concerning 1, the principle is so obvious that it hardly deserves such a solemn statement: what would be non situation-based human understanding? Concerning 2: this is a commonly held belief in cognitive science, but in my view it would need more th an a ritual statement at the beginning of a paper to dispel doubt and disbelief. The problem with the paper is that it makes quite strong theoretical claims, but offers neither sufficient evidence nor good enough arguments to carry conviction. I would advise the author to leave aside the theory (the 7-page format does not allow for a deep enough discussion anyway), analyse more sentences and concentrate on the method and the results, which might indeed be interesting, as is claimed, to feed lexical databases. Also, although the paper is reasonably well written and clear, some passages are awkward and should be checked by a native speaker. See for example the end of note 1 and the 2nd sentence in §1.1, the sentence beginning with "admittedly" in 1.2.2, etc.

    2. The paper is quite stimulating and easy to read. As far as I could understand, the main point is that a multi-frame analysis of a sentence is richer (?) or more expressive (?) than one that tries to find the "right" frame. It seems that such an analysis could explain blending/metonymy/metaphor, and I quite agree with this, but I wonder why this is mentioned only at the end of the paper. Another interesting point, the relation of MSFA with parallel processing is only mentioned in the last sentence. If these are important features of your model, maybe they should be better emphasized. Several difficulties arise with MSFA. One is whether "frame evocation for any segmentation of a sentence, including discontinuos ones" is tractable or not: how many possible segmentations must be considered even for simple sentences, and how many frames are thus evoked ? Too many ? Is it useful to evoke so many ? Another difficulty lies in the assignment of frames: how can a word or a local segment can be disambiguated without reference to the whole sentence? Frames normally impose a top-down constraint on the semantics of the constituents; here, if no particular reference is made to an overall frame, how is the right (local) frame chosen? Moreover, the goal of MSFA to preserve semantic ambiguity seems a bit contrary to the very notion of semantic analysis of a sentence. The examples are useful, but could be better exploited. Could you comment on the difference between the MSFAs of the English sentence (15) and its Japanese equivalent? Why are they different? What useful information do these MSFAs bring, apart from the treatment of the polysemy of "book", which has already received many solutions. Some changes could be done to make the presentation clearer and more convincing. Section 1.2 seems too general for a workshop paper, and the differences with FrameNet (BFN) are not clear... maybe because they arrive only in section 1.3 as a series of problems for BFN to explain "understanding". If the role of MSFA is mainly cognitive modelling, this should be stated from the beginning. It is not clear either how MSFA could be implemented in a computer program. If you have any suggestions about this, they would be welcome.

    第一査読者の評は非常に的確です.痛いところをビシビシついています.英語のための MSFA はそれほど本格的にやっていないし,準備不足はしょうがないんで,本番までに要望の幾つかにちゃんと答えを出せるように頑張りましょう.まあ,何にせよ,通ったのは幸いです(笑)

  58. 改心の理由: 私が(突然)意味タグづけの研究なんかを始めたわけ
    このエッセイは,私が(突然)意味タグづけの研究なんかを始めた(ように見える)わけを説明しています.認知言語学の現状,言語学者による日本語研究の現状に対しては,かなり辛辣な言動を弄していますので,心臓の弱い方はお読みにならない方がよろしいかと思います(笑)

  59. 私は今,ひつじ書房 からシリーズで出版されている『認知言語学論考』の次巻(第四巻?)に論文執筆を依頼されています.中本敬子さん,野澤元くんとの共著で,「意味フレーム理論は意味役割の理論である」 (黒田・井佐原 2004b) で展開された意味役割の理論に基づいて論文を書いています.その草稿は この文書 です.

    UPDATE (08/01/2005): ひつじ書房 から 認知言語学論考 No. 4 が出版され,その中に「意味フレームに基づく概念分析の理論と実践」 (黒田・中本・野澤 2005) として収録されました.元の文書は増補改訂版という形で公開を継続しています.


  60. 2004年の仕事

  61. 12/01/2004 に開いた「意味役割タグづけ説明会」の際に説明に使った 資料 (PDF) です.現在,私は複層意味フレーム分析を使った意味タグづけ作業を京大山梨研究室の修士学生四名に依頼しています.この説明会は,作業内容を説明するために開きました.取り上げられている実例は今まで公開した論文に出てきたものばかりですが,六枚目のスライドにある状況フレームのテンプレートと,七枚目のスライドにある意味役割のオントロジーは初出です.

  62. 階層的意味フレーム分析はネットワーク分析を越える: 意味フレームに基づく言語分析/概念分析の理論と実践 (PDF)
    私は,Langacker流の認識構造の分析の批判 (ID追跡モデルの提案,参照点構造の定義に心的接触の概念は不要である),Lakoff-Johnson流の比喩写像理論/概念比喩理論の批判 (比喩理解におけるフレーム的知識の重要性弱い比喩と強い比喩を区別すれば,概念比喩理論の説明は破綻する比喩は経済的で合理的だから存在する)を含めて,認知言語学の説明概念の認知科学的基盤の根本的再検討を実践しています.この活動は (認知科学的な意味での)スキーマに基づく統語の理論 で始まった認知言語学の基盤の再建の継続という感じです.今回は,その活動の一貫として「ネットワーク」という概念を取り上げます.
    ネットワーク分析で意味される内容は一様ではありません.それは,私が見る限り,認知言語学でネットワークが正確に何であるかが定義されたことはなく,いまだに多くの研究者がネットワークが何であるか知らないでネットワーク分析をしている状態という困った状況が続いているからであるように思います(これは生成文法家の多くがツリーが何であるかを知らないでツリー分析をしているのと何ら変わりはありません)
    この論文では,ネットワーク分析とは,何の,どんな分析であるのかを明示し,その基盤を再検討します.これは中本敬子さん(京都大学教育学研究科)との共著です.

  63. 第29回関西言語学会での口頭発表「意味フレーム分析は言語を知識構造に結びつける」(10/30/2004)のための予稿の 増補改訂版 (PDF) です.

  64. 言語記述で図の利用を有効なものとするために何が必要か?: "お絵書き"はそろそろ卒業して,ちゃんと構造を"可視化"できるようになろう (PDF)
    これは ICLC 発表応募論文の 増補改訂版 (PDF) の付録みたいなものです.(少なくとも日本の)認知言語学に蔓延する「お絵書き」症候群への処方箋です.多くの認知言語学者は,まったく別の二つの概念である図式化と図示を混同してるというお話.図式(化)のすべてが図示できるとは限らないし,図式でも何でもないものを図示することも可能なのです.だとすると,本当の課題は,図式(化)を図示することではなく,それらを特定の構造として記述することの方にあるはずです.

  65. FOCAL/PDS 入門: フレーム指向語彙概念分析/並列分散意味論の具体的な紹介 (PDF) [中本・黒田・野澤・龍岡・金丸 2004]
    中本敬子さん(京都大学教育学研究科)による,非常にわかりやすい FOCAL 入門のための書です.複層意味フレーム分析の手本も示してあります.

  66. 意味フレームの理論は意味役割の理論である
    「(意味)役割とは何か?」という本質的問題への理論的考察です.意味フレームを用いた知識構造の言語への効果的な結びつけ [黒田・井佐原 2004b] の内容を補完します.また,この研究ノートはひつじ書房から出版される『認知言語学論考 No.4』に収録されている「意味フレームに基づく概念分析の理論と実践」(黒田・中本・野澤 2005)の下地になったものです.この論文の 増補改訂版 (PDF) も入手可能です.

    UPDATE (06/21/2005) 題名を「意味役割名と意味型名の区別による新しい概念分類の可能性: 意味役割の一般理論はシソーラスを救う?」と改め,第168回自然言語処理研究会で発表することになりました.投稿原稿 (PDF) と,ページ数制限で割愛した部分を補った 増補改訂版 (PDF) の二つを公開します.

  67. 参照点構造の定義に心的接触の概念は不要である: 参照点構造を視界のメタファーに基づかない抽象的構造として規定するために (PDF):
    この論文は(私の元指導教官を含めて)私の周りで一時期,非常に盛んだった参照点構造 (RPS) の拡大解釈(つまり「あれもこれも参照点構造」)に対する異論です.私の基本的な考えは,参照点構造というものが仮にあるならば,それは視覚メタファーに基づかないで定義されるべき抽象的構造であるというものです.参照点構造の抽象性から考えて,重要なのは任意のRについてをD(R)を与える操作を定義することであって,D(R)の存在のみを図示することには,何の意味もありません.それをC,R,Tを描いて,Dの真ん中にRを置き,CからRへ,RからTへ矢印で結んで「表わした」とするのは,D(R)の存在を自明化しているだけです.私たちが知りたいのは,D(R)の内容物が何かという経験的な問いの答えです.<視界内のモノの発見>のメタファーは,あくまでもRPSの理解を助けるメタファーであって,それは参照点構造を定義したりはしません.定義がない以上,Langacker の RPM の規定は RPS に関して何も説明してないのは明らかです.これに対し,私は (i) RPSを純粋に連想のネットワークの活動パターンの特徴として再解釈することを提案し,そのために (ii) 意味フレームに基づく名詞の概念構造の記述に特に有効であることを指摘しています.(i) に関しては,元を正せば私が最初に言い始めたことではなく,京大山梨研究室に在籍していた尾谷昌則くんの見解です.ただ,Langackerのモデルの最終的な評価 ---特にその説明能力--- に関しては,彼と私は見解が一致しませんでした.私が否定的評価を示したのに対し,彼は全面的にではないとしても最後まで肯定的評価を固持しました.このことはあらぬ誤解を招かないよう,明言しておきます.

    UPADATE (11/01/2004) 活性化現象に関連づけられている Cruse の facet 概念の出典を Polysemy and related phenomena In P. Saint-Dizier and E. Viegas (Eds.), Computational Lexical Semantics (1995) に改め,v1b に改訂しました.

    UPADATE (11/01/2004) 幾つかの誤りを修正し,v1c に改訂しました.

  68. 比喩は"経済的"で"合理的"だから存在する: Lakoff と Johnson の概念比喩理論への更なる異論
    この論文は上の "弱い"比喩と"強い"比喩を区別すれば概念比喩理論の説明は破綻する の議論を補完するもので,基本的な主張は以下の通りです: 比喩の存在の基盤は,話者と聴者のあいだの利害の一致という,基本的に経済性 (economy) の原理に拠るもので,その意味で比喩の存在意義は"合理的"なものである.これが正しければ,CMTで説かれるような「比喩に基盤は本質的に概念的である」という説は必ずしも支持されない.比喩に概念的基盤があるのは--特に聴者にとっては--ありそうなことだが,それが比喩の本質的であるかは,観察可能なデータからは明らかではない.実際,話者は聴者とは異なる動機--「領域ごとに同じ表現を使い,領域に固有の言葉遣いをなしで済まそう」という同一効果の下での労力の最小化の原理--によって比喩を使用している可能性がある.この可能性を考える限り,比喩の第一の,そして究極の存在理由を,比喩が概念化のパターン,あるいは“思考様式”を決定するものであるとするCMT流の説明は,控え目に言っても一面的である.
    知り合いからは「これはちゃんと雑誌に投稿して,載せたほうがいいんじゃないでしょうか?」とも言われました.この論文の主張は--初めて主張した人物が私かどうかは別にして--私が今まで得た結論の中でも特に納得がゆく,デキがいいものだし,確かにそうだとも思ったんですが,日本の言語学関係の雑誌で載せてくれそうなところがないんですよね ... 日本の言語学関係の学会って,層が薄くて(笑) それと私は基本的にダダイスト,かつアナキストで,行動方針は “Go Underground!” ですから,今のままでゲリラ的に Underground Linguistics を続けるのも悪くはないです.私はいわゆる「業績」のために仕事しているわけじゃないんで.実際,雑誌に載るか載らないかは別にどうでもイイような気もします.査読者のいる雑誌に載っているかどうかは別にして,オンライン論文と査読者のいない大学の紀要に載せるのと,何が違うんでしょうか??? 査読者つきの雑誌にしたって,査読者の無能が明白な場合があります.それよりむしろ,有益な考え,無益な考えを退けるために必要な考えが世の中に出てゆく時間を遅らせるのは犯罪的ではないでしょうか???

    UPDATE 1 (12/13/2004): v1d に改訂しました.

  69. コーパスの利用法に関する誤解を解く: コーパスを"時間の止まった生態系"と見なして"語の生態"を調査するために:
    これは(少なくとも私の周囲の)言語学者の間で蔓延する,コーパスを利用した研究に全般に関する無理解を解くために書かれた試論です.要点を簡単に言うと,現在「コーパス言語学」と呼ばれている言語研究法は,コーパスを利用した数多くの研究の可能性のうちの一つしか体現していないということです.従って,仮に(あまり適切な評価とは思われませんが)現在のコーパス言語学が語彙分類に終止するものであっても,コーパス言語学を語彙分類と同一視することは誤りだ,ということです.また,コーパス言語学を統計言語学と同一視するのも,別の理由から誤りです.統計の利用は研究の手段であって目的ではないので,理論的にはコーパスを使わなくたって統計言語学は可能です(それに意味があるかは別の問題です).
     現在のコーパス言語学は Darwin によって進化論が確立される以前の生物学と同じであるという見解を提示しています: Darwin 以前の生物学は,事実上,分類以外にすることはありませんでした.私はこの試論で,コーパス言語学は早くそのような分類中心の段階を脱し,次の段階への移行する必要があると論じています.確かに統計は重要ですが,統計を使って何を調べるのかが本当に重要な問題なわけです(統計を使ってイチバン簡単にできるのは,確かに分類ですが)
     私のアイディアは「言語を<抽象的な生態系>だと見なし,コーパスをその時間断面である」と考えれば,語を種と見なして,それらの生態(の一部)を記述することが可能であるというものです.これはアナロジーですが,単なるアナロジーではなく,言語の用法基盤モデルの理論的な基礎になる考えのはずです.おそらくコーパス言語学者の多くはこのことを直観的に理解しているだと思いますが,それをハッキリした形で自覚,定式化していないだけなのだと思います.それを次の段階に進めるにはどうしたらよいか?---は,論文をお読み下さい.

    UPDATE (10/19/2004): 生態学の入門のために挙げておいた三冊の参考文献の評を載せ,正式に v1 としました.

  70. Remarks on Identity, Similarity, and Other Related Puzzles:
    IDTM の未定義概念である ID について,少しでもそれを明確化するために研究ノートを書いてみました.ですが,自分でももどかしくなるぐらい完成度が低いです(笑)「IDとは何か?」という問題自体が難しいだけでなく,自分の語っていることが下らない「哲学的冗舌」にならないように,それに非形而上学的にアプローチするという制約を設けているので,なおさら難しい!!!(笑)

    UPDATE (10/23/2004): (i) 同一視 (identification) と同一性の知覚/認識 (identity perception/recognition) の問題を区別し,(ii) カテゴリーの同一性と ID の同一性は同じではないということを確認し,v1b に改訂しました.

    UPDATE 2 (01/12/2005): メタ ID 集合の概念を修正,拡張し,v1c に改訂しました.「ID 集合は膨張宇宙のようなものだ」という直観を反映させる定式化を試みました.

  71. 概念化のID追跡モデル (IDTM) に基づく「壁塗り」構文交替/選択条件の記述
    まだ未完ですが,構文は交替しない,選択される の続編として,IDTM を使って構文交替/選択の Necker cube 仮説の内容を明示化しています.自画自賛になりますが,IDTM は強力ですよ(笑)

  72. Syntax for Dummies: 市販の教科書を使って統語論に入門する前に知っておくと(自己防衛のために)有利な幾つかのこと
    認知言語学はすっかり日本に定着しましたが,それには良い面も悪い面もあります.悪い面に関して言うと,最近の認知系の研究者の生成言語学に関する無知は目に余るものがあるように私には思われます.本当に「相手の上」を行きたいなら,相手以上に物知りにならなくてはいけないはずです.だとしたら(下らない理論の専門的詳細はともかく)相手以上に統語論のこと,特に統語現象のことに関して知っているべきなのは当然のことです.でも,誰もイキナリそこまではいけないでしょうから,まずは統語論に入門しなければなりません.が,これが実際には曲者なのです.はじめは何がなんだか,さっぱりわからない...といったことになりがちです.ですが,それはあなたが統語論に向いていないからとか,あなたの頭が悪いとか,そういう理由によるものではなく,入手可能な教科書のデキが良くないという面があるのです.その理由は...エッセイをお読み下さい.
    この文書はしばらく「地下」で出回っていましたが,今回,思い切って公開することにしました.より多くの「統語論ギライ」をなくすために,この文書が「迷える人に対する導きの書」になるよう,内容を改善してゆきたいです.そのためにも多くの皆さんからフィードバックがあると嬉しく思います.

    UPDATE (10/23/2004): 付録に,日本ではあまり知られていない統語論の理論的枠組みに関する簡単な案内を追加しました.それに伴い v1b に更新しました.

    UPDATE 2 (12/13/2004): v1c に改訂しました.

  73. "弱い"比喩と"強い"比喩を区別すれば概念比喩理論の説明は破綻する
    これは Lakoff and Johson (1980) 以来の比喩研究の伝統を批判的に検討するもので,比喩理解におけるフレーム的知識の重要性比喩研究は何のために の議論を補完するものです.論点は以下の通り:
    比喩には二つの定義がある: (1) 一つ目は「可能性としての比喩」で,これは,ある種の概念 T (e.g., ARGUMENT) について,T の文字通りの理解とは別の新しい理解を作り出すものである.この比喩を"弱い"概念比喩とする.(2) もう一つは「必然性としての比喩」で,これは,ある種の抽象概念 T (e.g., LOVE) について,T の文字通りの理解が存在しないか不完全な場合に(しばしば唯一の)必要なT の理解を作りだすものである.この比喩を"強い"概念比喩とする.
    もし Lakoff-Johnson の概念比喩が (2) の"強い"概念比喩,すなわち「必然性としての比喩」を意味するのであれば,それは少なくとも (i) アナロジーのモデルとは互換性がない (アナロジーのモデル (e.g., Gentner の構造写像モデル) で問題になるのは弱い比喩だけだから); (ii) Lakoff-Johnson 流の比喩研究の伝統,並びに方法では,必然性としての比喩の存在は非循環的な仕方で示されたことはなく,これからもその説明が達成されることはないだろう (言語データのみを見て概念比喩の純粋に概念的側面を規定することは,言語が概念そのものではない以上,原理的に不可能;そればかりか,現時点では概念比喩が言語形式といかに結びついているのかすら明白ではない).従って,それは「実証された」とは絶対に言えないシロモノで,彼らの強い比喩の存在仮説は,控え目に言っても単なる主張に留まっている (Gibbs の実験も強い比喩の効果を確証したものと理解することはできない.彼の実験で実証されているのは,せいぜい弱い比喩の効果である)
    これらが正しければ,"弱い"比喩のみを説明(し,"強い"比喩を排除)する適切なアナロジーの理論があれば,比喩写像の理論は不要となることを意味する.

    UDATE (10/24/2004): 幾つかの点に関して改訂を行い,v1bに更新しました.なお,この論文の内容を補う論文を 比喩は"経済的"で"合理的"だから存在する: Lakoff と Johnson の概念比喩理論への更なる異論 という形で公開しました.

  74. 博士の奇妙なプライド (Dr. Strange Pride, or How I Learned to Stop Worrying and Love the Collaboration)
    言語学者と心理学者との相互理解に基づく共同研究の妨げになっている幾つかの要因について考察し,対処法を論じています.
    言語学者と心理学者はずいぶん長い間,敵対視の関係に陥っています.それは言語学者が自説に都合のイイ結果は(過大解釈を犯しながら)評価するのに対し,自説に都合の悪い評価は「例文作りが甘い」とか,本質的でない部分で文句をつけるからです.この敵対的関係は,認知言語学で悪化しているようにすら思えます.私が具体的に提案していることは,心理学者は言語学者の理論的予想の実証,反証の「下請け」をする人々だと思いこんでいる言語学者は数多いが,それは単に言語学者の根拠のない自惚れで根本的にまちがいであり,言語学者は心理学者が自分たちに何を望んでいるのかを正しく理解し,お互いの異なる研究の伝統を越えた高次のレベルで共同研究に取り組む必要があるということです.

  75. 「そんなことは○○にすでに書いてある」という「お説教」のありがたみについて
    私自身はまだ言われたことはないのですが,言語学は「そんなことは○○にすでに書いてある」「そんなことは△△が○○ですでに言っている」という,実にありがたい「お説教」を下さる後輩思いの先輩方に事欠きません.そういうお説教の「ありがたみ」について少し考察してみました.

    UPDATE 09/30/2004: 付録にs/n比の高い議論の一例を挙げ,v1bに更新しました.

  76. 「(意味)フレーム」という説明概念の再規定: FOCAL を用語の混乱のない「知的に衛生的な」な枠組みにするために
    JCLA5 での野澤元の口頭発表の内容を受けて(意味)フレームの概念をFOCALの実状に合うように改訂しました.もちろん,変更されたのは用語だけで,FOCALの記述対象は変化していません
    変更の内容は:フレームという概念が実体概念ではなく,特徴概念だという点(これは実は Minsky 1975 の元々の定義ではそうだったのですが)を(再)確認し,それに実体を特定する効果を認めない,という形にしました.重要なのは,「Xがフレームである」ことではなくて「Xがどういう概念レベルの,どういう要素からなるフレームであるか」ということに変更になったということです.これまでのFOCALの主張をこの変更を受けて簡単に言い換えると,「状況レベルのフレームがヒトの理解の単位となる」ということになります.従って,「Xが意味フレームである」と言うことは,「Xについて,それが概念構造であるということ以上に,積極的に何かを説明したことにはならない」ということになりました.
    これはフレーム意味論にとっては少なからず困ったことでしょうが,「知的に清潔」な環境を構築するとなると,本家との用語法の不一致はどうしようもないようですね.

  77. 「選択制限は意味フレームに由来する」のための下書き
    これは 日本言語学会129回大会 での発表申込み 選択制限は意味フレームに由来する の下書きです.1ページの要旨に述べられなかった背景的情報が明示されています.これは書きかけで不完全な状態の研究ノートですが,それなりに有益な情報が盛り込まれているとは思いますので,公開しました.

  78. 比喩の研究は何のために?: 比喩の研究が面白く,かつ,重要である本当の理由
    これは直接的には 比喩写像における"領域"は単なる副作用である の内容を,間接的には 比喩理解におけるフレーム的知識の重要性 並びに 口頭発表「比喩理解におけるフレーム的知識の重要性」に対する質問への公式回答 の内容を補足するための文書です.

    UPDATE (09/06/2004): 構成を変え,v2に改訂しました.

    UPDATE 2 (09/24/2004): Lakoff and Turner (1989) にある「奇妙な意見」への批判を追加し,v2bに改訂しました.比喩と非比喩の区別が,比喩の理論内部の定義に依存し,客観的に決定できないなら,比喩の研究なんて意味ないです.その恣意性は,Chomskians が説明に値する対象を自分らの理論に都合の良いように,恣意的に定義して,それを「説明」していると称しているのと何も変わりません.そういうのは経験科学とは言いません.まあ「聖書科学 (Bible Science) 」ぐらいは科学的かも知れませんが(笑)

  79. 研究が進まないとき,どうするか?: 「研究が何であるか」まだわかっていない研究者の卵のための助言
    若い言語(科)学者の卵のために有益であろうと私が考えることを助言してみましたが,こういう意見は,名の通った先生方はぜったいに言わないでしょうね(笑)
    一つお願いです: 正しい助言をするのに勇気が必要な場合があるのと同様,正しい助言に従うのに勇気が必要な場合もあります.その辺の判断は自分で下してください(笑)

    UPDATE (08/15/2004): 読書案内を加え,v2 に改訂しました.

    UPDATE 2 (08/21/2004): 一つ助言をつけ加え,v2b に改訂しました.

    UPDATE 3 (11/07/2004): 部分的に修正し,v2c に改訂しました.

    UPDATE 4 (01/09/2005): 2.1.5 を付け加え,v2dに改訂しました.

  80. 言語のフレーム指向概念分析 (FOCAL) の目標と手法
    JFNX (拡張版日本語フレームネット) 改め FOCAL (Frame-Oriented Concept Analysis of Language) の枠組みを規定するための資料です.内容は(それなりに)過激です(笑) [私自身はそうは思わないのですが,他のメンバーからそういわれるので,そんな気もしてきました].なお,この文書の内容は 第五回日本認知言語学会 (JCLA 5) で 09/18 (土) の 15:50-18:40 (予定) のワークショップ第一室「意味フレームに基づく概念分析の射程: Berkeley FrameNet and Beyond」での黒田,中本,金丸,龍岡,野澤の研究発表と連動しています.私の発表は 意味フレームに基づく概念分析の射程: 動詞「襲う」の意味フレーム分析 [黒田 2004d] です.

    UPDATE (08/18/2004) 「世界,内部モデル,言語」の節を追加し,v5に更新しました.

    UPDATE 2 (09/04/2004) 関連性理論 Relevance Theory: RT に関する言及を追加し,v5c に更新しました.詳しい議論ではありませんが「RT は意味理解の自明化を行っているのではないか?」という問題提起を行っています.

    UPDATE 3 (09/23/2004) 3.2 に「理解の単位の存在仮説」と「理解の単位としての状況仮説」の説明を追加し,v5dに改訂しました.

    UPDATE 4 (10/23/2004) 主に 5.2 に生態心理学の重要性に関する内容を追加し,v5eに改訂しました.

    UPDATE 5 (12/13/2004) この文書の内容を捕捉するため,FOCAL/PDS 入門: フレーム指向語彙概念分析/並列分散意味論の具体的な紹介 も公開します.これは中本敬子さんによるものです.

  81. いわゆる「壁塗り交替」について: 構文は交替しない,選択される
    07/24(金)の「お題」つきKLCで発表した内容に若干修正を加えたものです.M2の研究のお手伝いとは言え,ずいぶん久しぶりに言語学の論文らしい論文を書いたような気がします(笑)
    さて,この研究の意義は記述的な面と理論的な面とに分かれます:
     まず,記述的な面では,(i) 先行研究の構文交替現象の観察自体が (おそらく異なる話者間の容認性の揺れや共起する名詞句の容認性に対する影響を,無条件に成立が見込まれている体系性に対する撹乱要因 (disturbing factors) と見なす理論的バイアス故に) 十分ではないこと,(ii) 先行研究の「説明」は構文の交替条件を述べたものにすぎず,(交替条件の規定としては概ね正しいとしても) 説明というより記述的一般化と言うべきものであることを指摘しています.実際,交替は起こらなくてもいいのに起こっているわけでして,「なぜそのような起こらなくてもいいことが起こるのか」を説明しない限り,本当の意味での現象の説明ではありません.
     因みに,交替の存在の「説明」として「それは,これこれの交替規則があるからだ」というのは (例えば S. Pinker が)「言語が体系的なのは,言語に規則があるからだ」と言うのと同じく,結果の記述によって原因を説明したとする愚,あるいは生成言語学に蔓延する本末転倒症の症例です.
     ただし,些か皮肉なことに,まったく同様の理由で「構文交替は図地の反転の一例だ」と説明するのも本末転倒症の一例だということになります.図地の反転は起こらなくてもいいのに起こっているわけで,それが起こらなければならない理由を明らかにしない限り,図地の反転による定式化は記述的一般化以上のものではなく,説明力の点で特に生成言語学の一般化よりすぐれているわけではないからです.
     理論的な面では,[A] 構文が解釈ポテンシャル (interpretation potential) 面上の<引き込み箇所 (attractors)>だと解釈する現象のモデル化を提案し,それを補うものとして,図地の反転がヒトの注意の構造故に発生する現象であることを [B] 構文交替/図地反転の Necker Cube モデルを提唱しました.これら二つが組み合わされると,構文は競合しあうもので,そもそも構文が交替するという言い方自体が正しくないということが示唆されます.
     補足的に言うと,これは [A] を主張する点で,Goldberg 流の構文理論の批判的検討 Where do constructions come from? の続編という面もあります.問題は「何が(上の意味での)解釈ポテンシャルを与えるか」という問題です.解釈ポテンシャルの引きこみ地点を構文の名で同定したのは Goldberg 研究の偉大な貢献ですが,反面,構文という対象を実体化させてしまっているように私には思われます.引きこみ地点があるのは解釈ポテンシャルがあるからです.その反対ではありません.解釈ポテンシャルを与えるのは当然,動詞ではありませんが,正確に言うと構文でもありません.語順情報の伴った名詞句(と日本語の場合なら格助詞)の取り合わせ(から誘引される意味的牽引箇所)です.構文はスキーマであって,モノとしては存在しません.スキーマであるならば,それがスキーマ性をもつ理由を説明しなければ,本当の意味での説明にはつながりません.Goldberg 1995 の研究では構文効果についての一定レベルの記述的一般性は満足されていると思いますが,この意味での説明的妥当性のレベルには到っていないと私は思います (まー,言語学者相手に,少し要求しすぎの帰来はあると思いますが(笑))

    UPDATE (10/12/2004): 本論の続編として 概念化のID追跡モデル(IDTM)に基づく「壁塗り」構文交替/選択条件の記述 を書きました.まだ未完ですが,構文交替/選択の Necker cube 仮説の内容を明示化しています.

  82. 暗黙知としての作例の「技法」は「技能」として明示的に学べるか?
    「ヨイ例を作例しなさい」と言われても,うまく作例できない...と悩んでいる言語学の初学者のために,私なりに作例の技法の本質を明示化してみました.これは 作例中心主義を脱却しよう の続編です.
    ただ,これは決定版というにはほど遠い段階でして,この試みを数多くの悩み多き初学者の暗い道の導きになるような有意義な資料とするためには,どうしても悩んでいる人からの反応が必要です.好意的,非好意的な意見に係わらず,意見を歓迎します皆さんの意見を反映して改訂を続け,よい研究ガイドになればいいと思っています.

    UPDATE: 2.6 に「可能性空間の探索法」の項を追加し,文のあいだの類似性に基づいて精度優先で実施する小域探索法,並びに文のあいだの非類似性に基づいて洞察優先で実施する大域探索法の記述を追加し,v2に改訂しました.

  83. (一見「不作法」な)謝辞のススメ: 脱「お妾さん気質」のための効果的な謝辞の活用法
    このエッセイは積極的に謝辞 acknowledg(e)ments を献じることの効能について論じています.日本の研究者は欧米の研究者に較べると圧倒的に謝辞を献じないと思うんですが,その理由は...ここでは述べられません(笑)内容は比較的過激ですので,心臓の弱い方は気をつけてお読み下さい.

  84. 悪質な研究(者)は良質な研究(者)を駆逐する: 日本の大学(の特に文系研究室)に優秀な研究者が少ない理由
    これは日本の大学の文系の研究環境の現状の告発です.友人の何人かに「これは問題になりそうだから,Webでの公開は見合わせた方がイイのでは?」と助言されましたが,公開に踏み切りました....というと物騒に聞えますが,私はまっとうなことしか言っていません.これが危なく聞えるようなら,そうさせている現実が歪んでいるのです.

  85. 私が(なかなか学会に受け入れられない)論文を書く理由
    このエッセイは私が論文を書く理由,そして私の書く論文が(特に言語学内部で)なかなか受け入れられない理由を考察しています.結論と言えるほどのものはありませんが,強いて言えば真実は皆を幸せにするものばかりとは限らず,そのような(人の知りたがらない)真実をハッキリ言う人間は煙たがられるということでしょうか?

    UPDATE (09/10/2004): 私が研究者だと見なしている人々はどういう人たちのことなのかをハッキリさせるために,参考文献を追加しました.

  86. 日本語フレームネット拡張版開発企画の紹介: JFNX 開発の今と今後
    05/10(月)に 情報通信研究機構 (NICT)自然言語グループ 内部向けになされた発表を外部向けに若干修正したものです.特別新しい解析結果は含まれませんが,JFNX の開発方針とロードマップを明確にしました.

    UPDATE:
    すぐ上で述べた理由により,私が暫定的に 拡張版日本語フレームネット (JFNX) と呼んでいた企画は FORMLUC/FOCAL に基づく意味タグ体系開発の企画と名称を変更します.「(拡張版)日本語フレームネット」あるいは「日本語フレームネット拡張版」という名称の不用意な使用によって「本家」の日本語フレームネットの関係者に何らかの迷惑がかかっていたのでしたら,この場を借りて深くお詫び申し上げます.

  87. 空間 ICM と尺度 ICM を対応づけるメタモデルについて: 統語的再解釈理論と比喩写像理論をまとめて再考する
    この原稿で今年前半の日本言語学会(第128回大会)の口頭発表に応募しました.関係者から「これで通るんですか...?」と言われていますが,別にいいですよ.通らなくても(笑)それはそれで,私が主張しているように「日本の言語学は科学としてのレベルが低い」という主張の根拠を増すだけですから.ま,それはそれとして,内容を簡単に言うと,比喩写像で源泉領域と標的領域を結びつける対応(つまり比喩写像)は,それ自体にモデルがない限り,可能とならないということ,別の言い方をすれば比喩写像の類型論は,それ自体では比喩の「深い説明」にはつらがならないという主張をしています.具体的には,空間 ICM (far from X) と尺度  ICM (not X) は,両者の対応づけのメタモデルにシグモイト関数を選ばないと,有意味な対応づけが可能でないことを示します.これが示唆することはメタモデルを特定しないで領域間の対応関係を列挙するだけでは,比喩写像を説明したことにも,記述したことにもならないということです.もっと一般化して言うと,あらゆる比喩写像には隠されたメタモデルが存在するはずなのですが,従来の比喩写像理論はこれを無視されているので,この認識は重要だ,というのが基本的な主張です.これは,比喩理解におけるフレーム的知識の重要性 (黒田・野澤 2004a) に始まる一連の比喩写像理論の批判的検討の議論を補完するものです.

    UPDATE 1: この応募は不採択でした.理由は推して知るべしです.特に言うべきことはありません.

    UPDATE 2: 誤りを訂正し,図をカラーにし,参照文献を増やして v2 に改訂しました.

  88. 日本語意味役割タグ体系を定義する試み: FrameNet の視点から
    04/24 の第236回 KLC での発表で使用した Keynote スライドです [KeynoteApple 社の開発した Micro$oft PowerPoint の対抗馬です.残念ながら,今のところ Macintosh 上でしか作動しません...].
     内容は 03/16 の日本自然言語処理学会での ポスター発表 の内容を,その後に得られた知見を盛り込んで更新したものです.「養鶏」文のフレーム・ネットワークが今回の目玉だと思います.
     私は Berkeley FrameNet の仕様を必要に応じて独自に拡張しています.このため BFN の公式な日本語版である慶応の日本語フレームネット (Japanese FrameNet: JFN) プロジェクトとの互換性は現時点では保証しようがないので,私は自分の版を 「拡張版日本語フレームネット」 (Japanese FrameNet eXtended: JFNX) と呼んでいますが,最終的には,もしかしたらフレームネットを名乗るのは適切でないと判断するかも知れません.私の担当している企画では意味フレーム辞書は意味タグ体系の定義に必要な手段であって,その構築は最終目的ではない,という点から, BFN/JFN と JFNX とのあいだに微妙な仕様上のズレが生じているのは明らかです.
     もう一つ重要なことは,意味フレーム辞書は,日本語 NLP で「格フレーム辞書」という形で開発されてたデータベースと外延がほぼ一致するという点です.両者の開発の出発点は正反対ですが,到達点は同一です.格フレーム辞書が結局,何の記述であるかに関して BFN が提供した理論的見通しの意義は非常に重要なのですが,日本語 NLP を日本語言語学の基礎研究の一部と見なすなら,BFN に必死に義理立てする必要は特にないのではないか?と感じるようになっています.まあ,この辺の判断は些か政治的なので,あまり深刻に考えたくはありませんが,仮に BFN/JFN からパテントのようなものを主張されたら,フレームネットを名乗るのは止める必要があるかも知れません.

    UPDATE 1:
    先日,私の許に日本語フレームネット (Japanese FrameNet: JFN) の代表者である慶応大学の小原京子先生から「日本語フレームネット」の名称は控えて欲しいという申し入れがありました.何となく「今後,そういうこともあるかも知れない」と予感はしていましたが,それが実現してしまいました(笑).と言っても,私には予知能力などありませんが(笑).個人的にはこの名称に特別な思い入れも未練もないし,何より正当な要求でありますから(実際,あっちが「本家」なワケですし),申し入れは素直に受けることにしました.実際,Berkeley FrameNet プロジェクトから非常に重要な啓示や示唆を受けているとは言え,フレームの概念や,開発すべきデータや資源の特徴づけ,その開発方針や手法に関して,私が考えていることと BFN/JFN の間の差違がどんどん拡大し来ているので,個人的も「自分のやっていることは,もはや FrameNet とは呼べないのでは?!」と感じて来ていたところでした.
     ただ一つ厄介なのは,新しい名称を考えないとイケナイ,ということです.ただ今,正式名称は募集中なのですが,当面は, FrameNet に相当する部門を言語理解のフレーム指向表示モデル Frame-Oriented Representation(al) Model of Linguistically Understood Contents: FORMLUC,あるいはフレーム指向概念分析 Frame-Oriented Concept Analysis of Language: FOCALと称し,意味タグ体系の開発の方は FORMLUC/FOCAL に基づく日本語のための意味タグ体系 (A Semantic Tag System for Japanese based on FORMLUC/FOCAL) 開発の企画とでも名乗っておきます.
     FORMLUC に (understood) contents という(些か不自然な)用語が入っているわけは (Web contents とかを意識したものではなくて),Krippendorff の内容分析 Content Analysis との類似を喚起するためです.実際,分析の対象の記述レベルは異なりますが,私が考えている言語分析の手法は,言語を研究資料と見なすという点で内容分析の手法と共通点があります.

    UPDATE 2:
    また,私が FORMLUC/FOCAL の理論的基盤として想定してる Frame Semantics: FS は,(認知)言語学で通用してる版 (つまり Fillmore の版) と概念的に異なった内容を含んでいる面がありますので,近々その差異を解説した論文を公表します.私はおそらく自分の版を Frame Semantics Constrained: FS[+C] と呼び,Fillmore の Frame Semantics Unconstrained: FS[-C] と対比することになるでしょう.一番大きな違いは「花瓶」のような普通具象名詞の扱いです.FS[-C] は普通名詞がフレーム構造をもつことを許容します(というか,FS[-C] では「何がフレームではないか」に関して,その制限がハッキリせず,定義が寛容すぎるのが問題なのです.このままだと「あれもこれもフレームだ」のようになってしまって,説明的価値がなくなってしまいます)が,FS[+C] では普通具象名詞 N はフレーム構造をもたないと仮定されます.N はフレームに関係した構造をもちますが,その効果は N 自体がフレーム構造をもつからではなくて,異なったフレームで異なる意味役割 (FE) をもつことから派生する効果だと考えます.FS[+C] ではフレームの基本形は状況 situation です(これはすでに [黒田・井佐原 2004a,b] で明言されていることですが,実は FS[-C] や BFN には「フレームが何についての知識をエンコードしたものであるか」の定義はありません).それから,もう一点,FS[+C] ではフレームはスキーマ性をもち,素性で (正確には素性ラティスのノードとして) 表現されます.この意味での意味フレームのネットワークは,結局,(認知科学的な意味での) スキーマのネットワークに過ぎません.

    UPDATE 3:
    お待たせしまた.FS[+C] の定式化の予告を実行します: 第五回日本認知言語学会 (JCLA 5) で 09/18 (土) の 15:50-18:40 (予定) のワークショップ第一室「意味フレームに基づく概念分析の射程: Berkeley FrameNet and Beyond」で私も発表しますが,そのための予稿集の論文,並びに,その参考資料として公開する FOCALの目標と手法「(意味)フレーム」という説明概念の再規定 が FS[+C] を定式化する文書となります.

    UPDATE 4 (08/15/2004):
    本ワークショップの私の発表は 意味フレームに基づく概念分析の射程: 日本語の動詞「襲う」の場合 です.ワークショップの発表者の 発表の概要 (1ページ) もあります.他のメンバーの発表予稿も,承諾を得て公開したいと考えています.

  89. 日本語の意味(役割)タグ体系を定義する試み: FrameNet の視点から [黒田・井佐原 (2004b)]
    第10回の言語処理学会の予稿集に掲載された論文 日本語の意味タグ体系を定義する試み: FrameNet の視点から [黒田・井佐原 (2004a)] を,ポスター発表(03/16/04)の内容を反映するように改訂した版です.全体的に,FrameNet の入門的によい内容になったように思います.以前の版にはなかった (i) 意味フレームの実在性の問題,(ii) 複層コーディングの話,(iii) 私が個人的に「こうあるべき」と考えている FrameNet とBerkeley FrameNet との違いに関する議論が追加されています.

    UPDATE (10/17/2004): (i) 注釈体系 (annotation system) が一般に満足すべき特徴に関する考察, (ii) 生成辞書 (Generative Lexicon) の理論と意味役割の関係に関する内容を追加し,改訂しました.

  90. 「程度の問題」症候群を克服する,(認知)科学的に妥当なカテゴリー化のモデルを求めて [注意: この文書に含まれている図を見るには 5.x 以上の Acrobat Reader が必要です]
    このエッセイでの私の狙いは,認知言語学で横行している「A と B は連続で,そのちがいは程度の問題だ」「A と B は連続体だ」という言明の「説明的価値」に挑戦することです.私の主張はその連続性が何に由来するか(もっと言えば,それが何の関数であるか)を明示しないのであれば,連続体による「説明」は単に A, B の区別をなし崩しにしているだけで,単なる逃げ口上だといういうことです.
    ただ,困ったことに程度の違い(別名「プロトタイプ効果」)を「何かの関数として」記述するためには,意味の組成/素性表示の考えを導入することが不可欠なのですが,この点に関して,認知言語学内部には,生成文法や構造主義への反感に端を発した(「坊主憎けりゃ,袈裟まで憎い」風の感情的な)反発があります(素性理論を提唱し,確立したのは,あの認知言語学の祖にもあたる偉大な言語学者 Roman Jakobson なんですよ...).これはCOEワークショップ「メタファーへの認知的アプローチ」の際に強く感じました.この点に関する啓蒙が必要だという意識が私がこのエッセイを書いた最大の理由です.実際,このエッセイの内容は,口頭発表の際にフロアから出た質問への公式回答の議論を補完するものです.
    意味構造の素性表示の有効性を擁護するために,Lakoff(1987)の放射状カテゴリー構造論への批判がなされています.批判の骨子は,放射状カテゴリー構造 radial category structure によるカテゴリー化のモデル化は,その構造に関して,カテゴリーが内在的境界性をもっていることを説明できず,プロトタイプ効果の存在という一面的な説明しか与えないことです.これに対し,主成分分析 (Principal Component Analysis: PCA) のような多変量解析法を使って解析すれば,例えば概念 MOTHER の放射状カテゴリー構造が意味の素性表示から再構成可能であることを示しました.これはカテゴリー化の古典的モデルは自然な形で(プロトタイプなしの)プロトタイプ効果を記述できるように拡張できること,プロトタイプ効果が意味の素性表示と矛盾しないことを示しています.

    UPDATE (06/15/2004): Lakoff (1987) からの該当箇所の引用を加え,v2に更新しました.しかし,WFDTを読み直すと,今さらながら...無茶苦茶やね,この本(笑)この本の著者は確かに直観は優れとるけど,科学者としてセンスは微塵もないような気がする.こんな粗末な文書をありがたがるのは,もう止めにしましょうよ(笑)

    UPDATE 2 (06/16/2004): PCAの図をカラーで見やすくして,v3 に更新しました.Lakoff のクラスターモデルを(フレーム意味論の観点から)緻密化した「motherhood の相基盤モデル」(phrase-based model of motherhood)の図も追加しました.Lakoff の「mother の概念を定義するのに必要十分条件は述べられない」という主張が一面的なのが,よりハッキリすると思います.

    UPDATE 3 (09/08/2004): 主に誤りを訂正して,v3b に更新しました.JCLA 04 での私の口頭発表のための布石です(笑)

    UPDATE 4 (12/13/2004): v3d に更新しました.

  91. 作例中心主義を脱却しよう
    上の二つのエッセイの続編で,チョムスキー革命以来の(怠惰な)伝統である作例中心主義の是非について論じています.生物学を模範とする言語科学には作例中心主義が好ましくないのは言うまでもないことですが,その理由は正確に理解されていない可能性があります.このエッセイは,そのことに関して,少し詳しく論じました.重要な点は,作例は無条件にダメだというわけではなくて,作例が必要とされる場合も,作例が実例より望ましい場合もある.だが,その条件を見極めないとダメだということです.その条件については,エッセイをお読み下さい.

    UPDATE: 1.3 の「補足」を追加し,v2に改訂しました.「コーパスを調べるのは研究の手段であって,研究の目的ではない」ということを確認しました.特別なセンスもなく,現象の分析の訓練もしっかり積んでいない人がコーパスから例を膨大に集めて来たところで,「突然,何か特別なこと」ができるようにはならない,というのは本当です.

    UPDATE 2 (11/07/2004): 1.3の「補足」の内容を補い,v2bに改訂しました.作例を実験になぞらえる人々(生成系の研究者に多い)に対し,そのアナロジーは二つの重要な前提条件を満足しておらず,妥当でないと論じました.

  92. (言語学者が)言語の科学者になるために必要な幾つかの心構え
    上のエッセイの姉妹編です.一緒にしても良かったのですが,長大になってインパクトが減るのを避けようと思いました.言語学者 linguist と言語科学者 language scientist とのちがいに関して,非常に初歩的なことしか書かれていないのですが,言語学の現状を見ると,このような初歩的に見えることでもハッキリ確認しておかないとイケナイようです.

    UPDATE 1: 偶然の発見ですが,研究者の心得 のページにも私のとよく似た意見が述べられていました.分野は異なりますが,参考までに,どうぞ.

    UPDATE 2: 観点は異なりますが,お説教 のページにも有益なことがいろいろ書かれています.とくに<研究という行為について>という欄は,大変に示唆に富んでいます.読んで,参考にしてください(なお,このページの存在は中本敬子さん(京都大学教育学部COE研究員)に教えていただきました)

  93. 説明強迫症の治療と予防
    非常に不幸なことに,言語学には現在,記述というタイプの仕事に後ろめたさを感じ,自分たちの仕事を特徴づけるのに,自信を持ってそれが「記述」であるは言えないという奇妙な風潮,別の現われ方としては,記述があたかも説明であるかのように取り繕うという奇妙な風潮があります.私はこのエッセイで,その理由は,多くの言語学者が「説明強迫症」という神経症の一種に罹っているせいであること,更に,この病気の原因はチョムスキー革命が導入した誤った言語学のモデル化であることを論じています.幸いなことに,この病気は不治ではなく,簡単に直ります.治療法は,エッセイで説明してあります.これは上の Dive into FrameNet比喩理解におけるフレーム的知識の重要性 および フロアからの質問への公式回答 (更に言うと,意味構造記述のための効果的な図法を求めて: ID追跡モデルの提案)での私の議論を補強するものです.合わせてお読み下さい.

    UPDATE: TeX で書き直し,内容も少し変更して v2 に改訂しました.

  94. [黒田・野澤 2004a]の 口頭発表の際にフロアから出た質問への公式回答 [黒田・野澤 2004b]
    この中で取り上げている質問,コメント,批判によって私の考えは深化されました.この場を借りて,お礼を申し上げます.

  95. 比喩理解におけるフレーム的知識の重要性 [黒田・野澤 2004a]
    来年1月に京大で開催される COE ワークショップ「メタファーへの認知的アプローチ」の準備のために書いた論文. 野澤 元くんとの共同研究.Metaphors We Live By (Lakoff and Johnson 1980) 以来の比喩写像 (metaphorical mapping) 中心の説明に釘を刺す内容. 写像を準備するのは上位スキーマ化 (super-schematization) であり,それが比喩理解の鍵であことを主張しています.最終的には Fauconnier and Turner (1994; et seq.) のブレンド理論に基づく説明の精緻化にしかならないような気もしますが,それでもよしとします. いずれ FrameNet の応用的研究として発表する予定ですが,COE からは論文集などは出ないということですので,当面はオンライン出版します.

    UPDATE (09/24/2004): 参考文献の書式を変更し,Lakoff and Johnson の概念化と比喩の関係づけに関する批判的議論をつけ加え,v2に改訂しました.


  96. 2003年の仕事

  97. 偉大な女性 Elizabeth Bates の思い出 [黒田 (2003e)]
    12/13 日に膵臓ガンで亡くなられた元 Center for Research in Language, UCSD 所長の Elizabeth Bates の思い出をつづったノート.彼女には留学時代に,日本の常識では考えられないくらいお世話になりました.覚悟はしていましたが,彼女の死を知らせるメールを Jeff Elman から受け取ったときには,やはりショックでした.人生は理不尽だ.

    UPDATE: Liz Bates MemorialCenter for Research in Language, UCSD で公開されていました.在りし日の Liz (ずいぶん若い!) の MPEG 画像と Liz を追悼する Marta Kutas (N400 の発見者!!) の詩の朗読がダウンロードできます.テレビ向けに話している Liz は私には信じられないくらいゆっくり話している(笑)
    話は変わりますが,Liz の死は日本ではまったく話題になりませんでした.彼女が亡くなってから一ヶ月おきに日本語のサイトを対象に彼女の名前を Google 検索してみたんですが,まったく話題になってないようでした.これはいかに日本の言語学,言語心理学,心理言語学,言語発達研究が偏った情報しか受け入れていないかを如実に示すデータだと思います.

  98. Dive into FrameNet
    11/27/2003 (木曜) に京大山梨研究室で行なわれた定期研究会「言語フォーラム」で Berkeley FrameNet Project に関して研究発表した (というか扇動した) ときに使用したスライドの PDF 版です.FrameNet の誕生する背景から説き起こし,最後に日本語で FrameNet に (緩やかに) 準拠する,言語資源の開発を強く指向する記述的枠組みへの取り組みを打ち上げる内容です.具体的には次のことを強く主張しました:
    「Chomsky 革命」以来,言語学者はすっかり怠惰になり,データをしっかり見なくなり,つまらない一般化に走り,不十分な事実の認識から (文法の生得性などの) 荒唐無稽な結論に飛びつく傾向が顕著である (この傾向は<生成言語学派>対<認知言語学派>の違いに関係なく見受けられる) が,これは科学的な言語学にとっては致命的に好ましくない」
    「生のデータは言語学者の (たいして当てにもならない) 直観を越える興味深い性質が隠れている」
    「科学的な言語学は妥当な現象の網羅的で体系的な記述の上にのみ成立する」
    「いい加減な観察から得られるのは,いいかげんな説明でしかない.現段階で言語学の諸理論が提供しているのは,そのほとんどが観察的な妥当性を犠牲にし,作為的になされた信頼性の低い記述に基づく,作り事である」
    「言語学者はこのことを再認識し,科学的に妥当な記述を求める段階に回帰することで,40年来の悪癖を是正する必要がある」

    これに対し
    「FrameNet は妥当な観察に基づく,妥当な記述への回帰の指針となる枠組みである.それは,従来の言語学者の (良きにつけ悪しきにつけ「奔放すぎる」) 意味記述を規格化,データベース化し,その利用価値を最終的に研究資源としての様々な分野の研究者が共有し利用可能なレベルにまで高める見通しをもっている」
    「この点で FrameNet プロジェクトは,言語学者に「有意味な記述とは何か?」という根本問題を提起し (有意味な記述とは,ゆきあたりばったりに収集したデータ,論文で見かけた例文に,その場の思いつきを述べることではない) おのおのが解答を見いだすことを強く求めている」
    お断わり: 少なからずマニフェスト的で,従来の言語学に対する攻撃的内容を含みますので,心臓の弱い方は気をつけてお読み下さい

  99. (認知科学的な意味での)スキーマに基づく統語の理論 [黒田 (2003c)]
    Kuroda 2000 が出版されるとしたら,その日本語の序文となるはずの小論文.現在の認知言語学がいかに認知科学的でないかを告発する内容を含みます.多くの言語学者にとってたぶん「ちょっと耳が痛い話」でしょうか? 私は警告します.今の認知言語学は,おいしいキーワードを粉飾のために関連領域から取り入るていだけで,何のお返しもしていません.極論すれば,関連分野の「都合の良い」研究成果に寄生しているだけです.研究分野の相互作用というのは互恵的でなければ,長続きしません.言語学が言語のことだけやっていれば良い(幸せな?)時代は,もう終ったんです.認知言語学がこのままの調子で認知心理学,認知科学での研究成果を無視した独自の用語法に固執し,心理実験やコンピュータ・シミュレーション軽視路線を取り続けるなら,いずれは関連領域から見放され,結局,単なる生成文法への反動で終ってしまいますよ.早くそのことに気づきましょう.

  100. 意味構造記述のための効果的な図法を求めて: ID追跡モデルの提案 [黒田 (2003a)]
    概念化の ID 追跡モデル (ID Tracking Model (IDTM) of Conceptualization) の現時点でもっとも詳細な紹介論文.『言語研究』に投稿したが,残念ながら不採用 (最後に査読者のコメントを紹介します).IDTM の開発の狙いは,Langacker の図法を恣意性が減少するように制約すること,認知言語学内部で乱立する諸 formalisms や枠組みを統合すること.具体的な提案としては,例えば,認知文法の図式で使用できる矢印の種類に制限を設ける,プロファイルの度合いを規格化する,などのように制限すること.こうして,もっとモデルとしての整合性と現象の記述力をあげようという提案.この修正で,Langacker の認知文法,Fauconnier のメンタルスペース理論,Fillmore のフレーム意味論を IDTM で共通に一般化できるというという嬉しい効果がおまけでついてくる.Lakoff の ICM は FrameNet 的なフレームの記述と同じであろうという見通しが立っている.また,Embodied Construction Grammar の流れと融合する可能性もある
    さて,査読者の評:

    • ラネカーの図法の意味の理解不足。言語に中立的といっているが、そうはいかない。たとえば、英語では自動詞と他動詞の break ですむが、日本語では『割る』『壊す』『破る』『崩す』などが対応し、どう対応するのかが明らかではない。また英語には自他対応がないが、日本では自他対応がある場合がある: 英語: decide 日本語:『決める』『決まる』.実例の部分の経験的な観察を網羅的に行い、その上で自らのモデルがそれらの事実を有効に捕らえることができることを示すべき。

    査読者が一人とは考えにくいが,これでコメントは全部.これを読んで,私は呆れてます.何にも解ってないね,この人.面倒だから,いちいち論駁はしない.しようと思えばできるが, そんなのはっきり言って,時間と労力のムダ.答えは全部,論文に書いてありますよ(読んでも解らなかったんでしょうけど...).しかし,それ以前にこの種の批判は IDTM への批判ではなくて認知文法への批判だということを,この査読者が自分で理解しているか怪しいです.自分の贔屓の枠組みの基本すら理解していないんですね,この査読者... 所詮,これが今の日本の「理論」言語学のレベルなんですかねえ? この人たちは断じて理論言語「学者」じゃないです.単なる理論言語学「オタク」です.どんな「深い」理解をしたら「ラネカーの図法の理解不足」とか言えるのか,不思議でなりません.完全に目が眩んでますね.この論文で私は,そういう「秘教解釈的,訓詁学的」な「深い」理解なしで言語学をやり直す仕方を提案しとるんですがね.まあ,それが気に入らんというのは,しゃあないでしょうけど.

    UPDATE (08/15/2004): IDTM の最新の研究成果として,JCLA 4 に [黒田 2004a], KLS 23 に [黒田 2004b] がおのおの掲載されます (ただ,[黒田 2004b] に関しては 増補改訂版 の方をお勧めします).FOCAL という意味フレームに関係する仕事があまりに忙しくて,ついつい IDTM の方は手薄になってしまっています.申し訳ありません(笑).ただし,気づいている方もいるかも知れませんが,IDTM の成果は FOCAL にも「見えない形」では反映されていますので,開発が止まっているわけではありません.あくまで意味フレームに関係する研究に比べて優先順位が低くなってしまっているだけです.

    UPDATE 2 (10/13/2004): IDTM の応用研究として 概念化のID追跡モデル (IDTM) に基づく「壁塗り」構文交替/選択条件の記述 を書きました.これは 構文は交替しない,選択されるの続編として書かれており,IDTMを使って 構文交替/選択の Necker cube 仮説 の内容を明示化しています.

    UPDATE 3: IDTM の未定義概念である ID について,少しでもそれを明確化するために Remarks on Identity, Similarity, and Other Related Puzzles を書いてみました.こっちの方は,自分でももどかしくなるぐらい完成度が低いです(笑)「IDとは何か?」に非形而上学的にアプローチするのは難しい!!!

  101. 言語学者のためのコネクショニスト・モデル入門
    もう去年のことになりますが,2003の春に私は山梨研究室の院生を対象に,コネクショニスト・モデル (connnectionist models) への入門講座を開きました.これは,その第一回目に使った PowerPoint スライドです.スライドにもありますが,この講習会を開いたのは頭でっかちな(理論)言語学者(の卵)に次のことを身をもって経験してもらい,お偉方の扇動に乗らないようにして欲しいと思ったかったからです: (i) コネクショニスト・モデルを使うシミュレーションは難しくないことを,実際にシミュレーションをやってみて自分の目で確かめる; (ii) いわゆる認知言語学は本当に認知科学と互換なのかどうか,コネクショニスト・モデルの場合に関して,確かめてみる.なお,この講習会の背景となっているのは Center for Research in Language, UCSD への留学中に得た実感です.その際, Elizabeth Bates と Jeffrey Elman にはすごくお世話になりました.本当に良い経験をしたと思います (一部には「せっかく UCSD に行っておいて,Langacker とも Fauconnier とも交流しないで帰ってきて,何やっとンたんじゃ?!?」という批判もあるようですが,そんなの私の知ったことじゃありません(笑).私は UCSD の大物には何の恨みもありませんが,特に彼らと交流を持ちたいとは思いませんでした.私は狭い言語学の枠に止まりたくなんかないし,それ以上に,認知言語学の内輪ウケの話や生成文法との派閥抗争に明け暮れるような研究生活をするなんて,まったくゴメンです.そんなつまらんことより,言語学を科学にするためにしなきゃならんことは山ほどあるのです)


  102. 2003年以前の仕事

  103. Human Language as a Complex System [Kuroda 2000]
    これは私が 2000 年に (ほとんど冗談半分に) Santa Fe 研究所 のポストドクターの公募に応募したときに Statement of Research Interests として提出した論文.「宝くじに当たれば儲けモノ」的な感覚で応募してみたけれど,今から思うと,少し常軌を逸していたような気もする(笑)

  104. 『認知音韻・形態論』(大修館)の第二章「認知形態論」の原典版
    最終的にずいぶん割愛してます.はじめは160ページほどありました.結果として多くの具体的な分析を削る羽目になったのは,残念です.Y 先生から「長めに書くように」と言われて,その指示に従ったのですが... とある情報筋によると,私の文章は内容が過激すぎて,長めに書かせないと,危ない部分が削れないという配慮からそう言っていたらしいのですが(笑)それはそれとして,最終的に出版された内容には問題があります.タイトル等,一部,著者である私の了解を得ないで,編集者の独断で変更してある箇所があります.ハッキリ言いって,私はこういうのは好きじゃない.相談を持ちかけられたら,こっちだって折れる余地がありますが,了解を得ないというのは,まったく頂けない!! この点が改善されるという保証がない限り,私は大修館にはもう原稿は書かないでしょう

    UPDATE: pp. 137-139 にあった「非能格性」に関する記述が誤っていましたので,訂正しました.それに伴い,関連部分を少し修正しました.

  105. What is Profiled in a Relational Profile?
    これは 上の論文 の続編で,IDTM の背景をなす理論的考察です.執筆されたのは私が UCSD に留学する前,2000年あたりです.

  106. Reinterpreting Langacker's Cognitive Grammar in Terms of Pattern Matching Analysis
    これは諸々の事情から私の博士論文 [Kuroda 2000] から外された論文です.すっかり存在を忘れておりました(笑)
    狙いは Langacker の認知文法の図法のあれこれの「問題点」に対し Pattern Matching Analysis (PMA) の観点から修正案を出すというものです.これは ID 追跡モデル (IDTM) の前駆体です.同じ趣向の書きかけの論文としては,他にもう一遍,Against the "Spatialization of Syntax" Program というのもあるのですが,それは完成予定がありません.私は基本的に文法をイメージ(スキーマ)に還元するアプローチには批判的です.そんなの,実質的な言語研究としては,ぜんぜん実りがないと思います.文法の「形而上学」を幾ら極めたところで,それは言語の科学にはなりません

    UPDATE (12/26/2004): これと前後して,私は KLC(01/30/1999)で Remarks on the "Emergence" of Syntax という発表をしました.Langacker の "Constituency, dependency, and conceptual grouping" (1997) の主な主張「構成素構造は意味構造(のグループ)化から創発する」に対して (主に PMA の観点から) 批判的な見解を述べたものです.私の批判の根拠は二つです: (i) Langacker の分析の幾つかは統語論の標準的な知見からすると記述的に妥当でない; (ii) 仮にそれがマチガイじゃないとしても,Lakoff の Spatialization of Syntax Hypothesis の場合と同じく,この種の主張は単なるプログラム/プロパガンダで,主張を支えるだけの実質が伴っておらず,空虚である
    この発表の付録には博士論文には含まれなかった日本語,フランス語の PMA も含まれています.懐かしい(笑)

  107. 「言語獲得への認知言語学的アプローチ」(月刊『言語』1998/11)の原典版 [黒田 (1998)]
    これまた,かなり割愛してます.紙面の都合で,k 値範疇文法の学習可能性を肯定的に証明した金沢誠の成果 (Kanazawa 1998) を最終稿に残せなかったのは残念でした)

  108. On certain "systematically loose" expressions
    これは KLC (07/05/1998) での口頭発表のための資料ですが,論文の形をしていて,よく知られた「Q: 大坂城は誰(が)建てた?」「A: 大工さん」の謎々のオチを,メンタル・スペースの理論,(意味)フレームの理論,活性化伝播の理論 (Spreading Activation Theory),意味ネットワークの理論 (Semantic Network Theory),Goffman-McCawleyの複合立場/役割理論を統合する観点から分析したものです.これは今思えば私が今積極的に取り組んでいる意味フレーム関連の研究の萌芽であるような気がします.
    内容に関して言うと,looseness に (a) metaphorically based loosenes; (b) metonymically based looseness; (c) precision-based looseness の三つ「種類」を区別してますが,判定条件は明確に述べられていません.今思うと,(c) は (b) の特殊な場合でしかないような気もします.でも,実際には metaphor と metonymy の定義がないわけで,説明としては破綻してます(笑)
    私としては,メタファーは語の SENSE の標準からのズレの問題,メトニミーは語の REFERENCE の標準からズレの問題だと思っていますが,SENSE や REFERENCE の定義を明確にするのが困難で,未定義性から脱却できていなわけです.
    この種の未定義性は,「メタファーが異なる領域間の写像で,メトニミーが同じ領域内での写像だ」と見方を変えて言って見たところで一向に解消されませんし,それによって明示性が増しているかどうか,怪しいです.領域の要素を結ぶ各種のリンクやコネクターの実体は何だかヨクわからないわけですから,「写像って何?」「領域って何?」という問題となって未定義性が帰ってくるだけですヨ.

  109. 接続表現の諸相: 言語のアルゴリズム論的な理解に向けて
    これは私の修士論文です.以前から要望がありましたので,公開します,お恥ずかしながら(笑)
    この論文を読めば明らかのですが,私は執筆当時,日本語の言語学,いわゆる国語学,日本語学の勉強をまったくしていません.それらを読んでも,何が書いてあるのかわかりませんでしたし,仮にわかったとしても何が言いたいのかサッパリわかりませんでした.そういうわけで,私が当時読んでいた生成系の理論言語学の研究書---特に生成意味論の研究書---に書いてあることを真似て,「自分なりのやり方」で言語学の真似事をやってみることにしました.その結果がこの論文です.自分で言うのもなんですが,いわゆる「学術的な価値」は皆無だと思います(笑)これは研究プログラムの宣言書です.
    ただ,これを読んだ何人かの友人には,「学術的価値とはまったく別の魅力がある」とは言われました.別の方からは「狂気を感じる」と言われました.私が思うに,そのワケは,根っから理系の心をもった人物が,既存の理論的枠組(例えば生成文法)に毒されず言語という対象を研究するとどうなるかの一例になっているからだと思います.この修士論文の副査を担当したT先生の一人が「黒田くんは家を建てるのに,釘から作り始めるつもりらしい」みたいなことをおっしゃったのを,私は今でも楽しく思い出します.T先生はそれを批判のつもりで言ったのでしょうが,それこそ,私のしたいことだったので(笑).白状してしまうと,(研究者としては失格かも知れないですが)私は真面目に先行研究を参照するのが好きではないのです.私は研究の前に先行研究を参照することはありません.するのはプロトタイプができた後です.私は何でもゼロから自分で組み立てるのが好きな「知的自給自足派」です.「既製品」から自分の目的に合っているものを慎重に選び,それを使ってエレガントな分析をするという研究スタイルは,私の性にはまったく合っていない! (その意味では私は京都大学というところが非常に性に合っていました).私は舐め回すように先行研究を読める人が羨ましい!!
    私が言語学と言えるものを始めたのは,1991年に京大の人間・環境学に入ってから,つまり,修士になってからです.それ以前,私は美術・美術史学科の学生で,卒論は音楽論でした.今にして思えば,私は音楽用語のメタファー的基盤の研究を通じて「音楽の概念化」について研究していたことになります.
    ただ,ヨーロッパの構造主義,その基盤となった記号論を通じて F. de Saussure,R. O. Jakobson,R. Barthes,C. Morris の仕事は比較的ヨク知っていました.とはいえ,言語学---特に生成言語学成立以来の言語学というもの---の「正規」の教育を受けたのは,このときからです.私の指導教官は,当時は比較的教育熱心でした.少なくとも,私の学部時代の経験に較べると,圧倒的にそう思えました(笑)
    自分が本格的な言語分析に関しては素人だという自覚はありましたから,ずいぶん色々な本を読みました.当時の最新の理論であるGB理論などはまったく知りませんでしたけど,私が勉強を始めた環境では,とにかく生成文法が成立する頃の,当時では「古典」とされる文献が山ほどあって,それが自由に読めて,非常に有益でした(笑)
    一つだけ捕捉すると,今の私はこの論文で強く主張されている<強い人工知能>の可能性---すなわちヒトの言語運用のアルゴリズム的記述の可能性---を当時ほど強く信じていません.この当時はコネクショニズムのことも複雑系のことも知らなかったので,アルゴリズムが不透明になる可能性には思い至っていませんでした.アルゴリズムは存在すると思いますが,それは明示的に「規則」の形では記述不能かも知れないという不可知論的立場に傾き,力学系アプローチ (Dynamical Systems Approach) の立場に大きく傾いています.ただ,自分でも驚いているのですが,知識/知能の見かけの体系性を文字通り受け入れることを嫌い,(並列)分散的性質を強調するという根本的なところは,今でも変わっていません.これはおそらく,私の本質的な好みなのでしょう.

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